NoName

Open App

終わらせないで。

今日は、この言葉に隠れている感情を考えてみよう。

日常の中で「終わらせないで」と思うのはどんな時だろうか。

例えば──

楽しみにしている週刊漫画やアニメ、ドラマ等で、
真相が今明らかに!ってなったところで、続きはまた来週となる時。

「こんないいところで終わらせないで」と思う方が
多いのではないだろうか。

こういう心の動きになるのは、対象に対して「興味」や「期待」があるからだ。

「終わらせないで」という言葉を、接続助動詞にして
考えると、また違った表情を見せる。

例えば「あなたが終わらせないでどうするの」。
なんだか、ファンタジーものや冒険ものでありそうな台詞だが、終わらせるという事に「使命」のようなものを感じないだろうか。

「あなたが終わらせないでどうするの」という言葉は、「あなたなら終わらせることが出来る」という
言葉が隠れているので、やはり「期待」は相変わらず存在している。

ざっくりと例を挙げてみたが、こうして改めて見てみると面白い。

「終わらせないで」という言葉には、
「興味」や「期待」果ては「使命」まで隠れている。

使命というのは意外だが、よくよく考えればあってもおかしくはないのかもしれない。

何事も始まったならば、終わらなくてはいけない。

人が物事を始める時に
始まりの使命を帯びるならば
終わりもまた然り──というわけだ。

そして、

始まりは終わりへ
終わりは始まりへ

万物は絶えず流転し続けていく

その中で変わらない、本物を見つけることもまた人の使命としてあるのかもしれない。
────────────────────────
終わらせないで

11/28/2024, 2:11:44 PM