三行

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沢山の棒で現された立方体。
それが組み合わさって形を成したもの、ジャングルジム。
私にはそれが、昔から馴染めないものだった。

人のように、感じる。
ひとつひとつの箱が、一人ひとりの人間、生き物のように捉えてしまっているから。
遠目から見るとその人々はひとつの塊となり、強大で、恐ろしいものにさえ感じる時がある。
夜の公園では特に不気味に見えてしまう。夜の暗闇の中街灯が照らす遊具は、どれもそうといえばそうではあるが。

友達はその塊のことをなんとも思わないようで、笑顔で楽しそうにてっぺんに登る。
昼間に見かけた幼い子は鉄棒のように前回りさえしていた。

私の感性はきっとおかしい。
友達がどれだけ誘っても、それにだけはあまり近づきたくないのだ。


ある日、球体を模したそれが隣町の公園にはあることを知った。
あの中に入る、だなんて、とても生きた心地がしない。
ただでさえ捕らわれているかのような感覚に陥りそうなものを、球体だなんて。
それに、それは回る、らしい。
なぜそんなものを作ったのだろう、そう疑問に思うが動かなかったそれを動かすというのは好きな人にとっては好きなのだろう、そう思った。
私は、動くだなんてとうとう生き物じみてきたなあ、なんて感想を抱いたけれど。



ジャングルジム。子どもたちが遊ぶには危険だという話や実際に事故などがあり、街のあちこちから撤去されていた。
大人になった私としては、特にもう恐ろしいような感情は抱いていなかったが、小さい子がケガをする可能性が無くなるのはいい事だな、と思っていた。

年齢を重ねると公園なんていかなくなるものだね。
社会人ともなると、都市部へと引越しをしたことで近場にもそれがある公園なんてものは無かった。

ある日、出張で出かけた先に公園があった。
お昼ご飯を食べるためにベンチを借りたのだ。
緑の多い公園で、花壇に植えられていた色とりどりの綺麗な花たちが印象的だった。
その公園には、あれはいなかった。
大きな広場があり健康を意識して作られたと察することが出来る鉄棒だとかがあるだけだった。

小さい看板にはボール遊びや諸々が禁止、といった注意事項が書かれていた。
でも広場にいた子どもたちはサッカーボールを蹴っている。
遊具という遊具がなく、ただ緑を生存させるためだけの楽園のように見えた公園だったが、子どもというのはいつでも自由で、元気で、変わらずいて欲しいなと思った。


「ジャングルジム」 2024/09/23

9/24/2024, 10:14:10 AM