渚雅

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日中の蒼穹の片隅今にも消えそうな青白さで,されど凛として佇む破月。帳におおわれた時より希薄なそれを愛おしげに眺める人物。

どこか物悲しい雰囲気で,けれど薄く笑みを浮かべた表情を浮かべる。まるで決して叶うことの無い想いを抱え,それでもその想いを捨てることなく抱き続けているような 酷く静かな片想いみたいな空気を纏う。


「月が綺麗ですね」

儚げな先輩の横顔に思わずそんな言葉が零れた。文芸に興味がある人物にとっては有名すぎるほど有名な台詞。

使い古されたその言葉に先輩はチラリとだけ視線を寄越し,すぐにまた空を眺める。何事も無かったかのように。


「アーシャには穏やかな感覚。その名は知らないけれど」

数十秒の沈黙の後 月を見つめたまま君は呟く。いつもと同じ声色で,気色も嫌悪も感じさせない淡々として耳障りの良い響き。

正直に言えば返事の意味は理解できなかった。ただその雰囲気から一蹴された訳でも無視された訳でもないことだけは伝わってくる。


「知ってた? 真昼には薄らと青みがかって見える」

そんなことを囁きながら微笑を浮かべた。儚げな美しさに妖しげな魅力を宿し,揶揄うようなそんな笑み。

どういう意味だと問うたところで答える気などないのだと,自由気ままな先輩は言外に伝えてくる。何処か挑発的で愉しげな瞳に捕われた。


「答え合わせはまた今度。じゃあね」

くすり と小さな笑みを落として,ひらりとその場を後にする先輩。真っ直ぐな視線は振り返ることも無く扉に手をかけていた。

それにかける言葉もなくただ見つめていれば,くるりと身を翻した先輩と視線が混じり合う。


「ひとつだけヒントあげる。直接的な言葉は好きじゃないかな。命は惜しいし」
「どういう……」

続きは笑顔ひとつで黙殺される。自分で考えろと笑顔が語る。


「要するに勉強不足ってこと。嫌いではないフレーズだけど」

話しすぎたかな なんて言いながら今度こそ先輩は扉の向こう側へと消える。


ヒントだという言葉の意味すらわからない。けれど先輩は意味の無い言葉は好まないうえに,かけられた言葉には真面目に向き合う人だから 何かしらの意味があるはずで。

一人きりの空間でただひたすら思考に耽ける。酷く意地の悪い謎掛けのようななにかを解き明かす為に。




'アーシャ'に'青い月' 唐突に紡がれた言葉にも関連があるはず。

'嫌いではないけど勉強不足' それはきっと"月が綺麗ですね"に対する感想。先輩なら間違いなく言葉の意味も由来も,返事についてだって知っているはずだから。


基本的な返しは"死んでもいいわ" 二葉亭四迷の翻訳から来ているはずで,作品の名前が確か'片恋'

だとしたら'命は惜しいし' '直接的な言葉は好きじゃない' っていうのはその返しはしてないって意味。

片恋の原作はロシア文学で作品名が'アーシャ'。


'青い月'はBlue moon 滅多にないことを意味するから, "青くはない"で告白を受け入れないの意。'青みがかって見える'のならそうじゃないってこと。

そこまで考えてようやく気がついた。



「……なにそれ」

今鏡を見れば耳も顔も真っ赤に染められているのだろう。いやに主張する脈が煩い。


とんだ返しをされていたものだ。確かに勉強不足と言われたところで仕方がない。

文学には文学で。それも有名どころを自分の言葉でアレンジして答えてくれただけ。たとえすぐ意味がわからなくても,考えれば調べればわかるぐらいの難易度で。



「愛してる」
「愛してるっていうには穏やかだけど,でも好きだよ。心の底から」

そんな風になんでもない顔で答えていた。素直なくせに素直じゃない人間が二人いたって ただそれだけの話。



テーマ : «Love You»

2/24/2023, 9:39:29 AM