すゞめ

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 今日も……!
 今日も俺の推しがかわいい……っ!

 俺の語彙など全く意味をなさない。
 言葉を通してかわいさを形容する行為こそがおこがましいくらいだ。

 ああああぁぁぁぁぁあっっ♡

 言葉にならないものが胸の奥から込み上げてきて胸が苦しい♡

 サイドに大きなリボンがついた水色の帽子。
 深めの帽子は日差しもカットできて、頭のラインに沿って下がったツバは彼女の顔もミステリアスに隠した。
 顔の小ささが際立ち、横から見た顎のラインを美しく描く。

 パシャパシャと携帯電話のシャッター音がリビングで響き続けていた。

「ねえ。もうタグ切っていい?」

 アンニュイな表情で彼女は帽子を取る。
 儚げに息をつき、帽子についたタグ紐の輪に指を入れて気怠げに遊ばせた。
 シャッターを止めるタイミングが見つからない。

「ああ、そうでした。そうでした。動画回すので少し待ってください」
「……タグ切るだけだよね?」

 瞳の影を落として首を傾げ、声音を低くする彼女も魅惑に溢れている。
 俺としたことが、やはり動画も一緒に回しておくべきだった。

「ハサミを上手に使っている天使の姿は見逃せません」
「私をいくつだと思ってんだよ」
「あと3ヶ月で24歳ですね。おめでとうございます。プレゼントは新居と指輪と婚姻届でいいですか?」
「絶対にやめて」

 感嘆の息を吐いてまで喜んでくれるなんて思わなくて胸を押さえた。

「あああああっ、その照れたお顔も斬新でかわいいですね♡」
「誰も照れてねえよっ! さっさとハサミ貸せっ!」
「どうぞ♡」

 俺は彼女に、キャップがクマさんになっているハサミを手渡す。
 ハサミには拙い筆跡で彼女の名前がひらがなでかわいく書かれていた。

「うわ。どこからこんなもん持ってきたんだよ?」
「どこって、あなたが幼稚園の頃に使っていたお道具箱からです」

 ソファの下の引き出しから、彼女が幼稚園のときに使っていたというお道具箱を取り出す。

「ほら」

 真新しいピンクのお道具箱を持ってニコニコと満面の笑みをカメラに向けていた幼少期の彼女は本当に天使だった。
 もちろん今も天使だけど。

 幼い彼女の姿を思い浮かべてホクホクしていたら、23歳の彼女が俺を現実に引き戻した。

「だからっ!? なんでそんなもん持ってて、しかも持ち帰ってんだよっ!? つかよく残ってたなっ!?」
「実家までご挨拶に伺ったとき、お義兄様からいただきました。あなたの最新版の寝顔と寝起きの抱き合わせ画像20枚とトレードです」
「最新版の寝顔と寝起きの抱き合わせ……?」

 ポカンとしている彼女も、頭を抱えている彼女も、顔をしわくちゃにしている彼女もかわいいが、今はタグを切る画角が欲しい。
 クマさんのキャップを外す彼女は絶対かわいいに決まっている。

「そんなことより早くタグ切ってください。このあとタグなしバージョンの差分の撮影が控えてるんですから」
「タグなしの差分ってなに!? 聞いたことねえよ! 差分って表情とか服とかに変化つけるもんなんじゃないの!?」
「自宅でパリコレしてくれるんですかっ!?」
「誰がやるかっ!!」

 彼女の口からとんでもない誘惑が飛び出して秒で食いつくが、あっさり却下された。
 人を弄ぶのもいい加減にしてほしい。
 困ったわがまま天使様だ。
 最高である。

「は? やるつもりないなら軽率に誘惑ぶら下げるのやめてください」
「なんっで私が怒られてんだよ!? 今撮った写真ごとそのスマホ、水ぽちゃしてやってもいいんだけど!?」
「画像自体は別端末と同期してるほかクラウド保存しているのでかまいませんけど……。今のスマホの壁紙とアプリアイコンは俺史上最高のかわいさの出来栄えで推しを配置したので水ポチャは困ります。やめてください」
「別端末? クラウド……? 壁紙……? ちょ、なんで刺すたびに私がダメージ受けてんの……?」
「さあ? 刺しどころが悪いんですかね?」
「ふざっけんなっ!」

 ん。
 と、よこせと言わんばかりに手のひらを広げるから、ポンっと携帯電話を乗せた。

 彼女とは同じ機種を使っているから大きさの比率は変わらない。
 それなのに、俺の携帯電話を待っているだけで小さく見えた。

 いつ見ても小さなおててかわいい♡♡♡

「うわ。アプリアイコンって変えられるんだ。ほんっと、乙女みたいなセンスしてるよね?」   

 俺の彼女に対する献身スキルが無条件に発動して、携帯電話を手渡していたことに気がつく。

「あ、え? あれっ?」

 そして、なぜか当たり前のように英数字含めたパスワードを解除されていた。
 同じ機種を使っているだけあって、彼女は慣れた手つきでタプタプと画面を指で弾く。

「ふんっ」

 ぷりぷりしながら携帯電話を手渡されたときには、壁紙もアイコンも初期設定に戻されていた。

「ねえ、ちょっ、くぁwせdrftgyふじこlp」

 無慈悲な鉄槌を施されたスマホ画面に、俺は言葉にならない声をあげて膝をついたのだった。


『言葉にならないもの』

8/14/2025, 3:14:24 AM