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もしも君が”私”であったなら
そして、それが「常識」という言葉、「普通」という言葉で括れる世であったなら
「群れ」という言葉は意味をなさず
また、「一人」という言葉も意味をなさないだろう
だが、
「多数」という言葉はまだ意味を持ち、
「独り」という言葉もまた、意味を持ち続けるだろう
君が私であったならば、対立など起きてなかっただろう
対立するきっかけなど起きるはずがないのだから
君が私であったならば、地位の上下が無く、敬語や賛辞などすぐ廃れて、言葉も時期にいらなくなっただろう
だって、私は君なのだから
君が私であったならば、この世のあらゆる「消費」は今以上に加速しており、世界は私が自我を持った半年後に寿命を越し、すぐ「終わり」をもたらしただろう
だって、君は私であるのだから将来など無い、今があるだけなのだ
もしかすると、そうでは無いのかもしれないが、
生憎、私は根っから「将来のために」行動する気が無い人間だ
君が私であったならば、この世は恐怖心すら抱く様な「暇」で溢れかえり、時期それに押しつぶされただろう
だって、
競うことが無い
相手がいないのだから
共感することが無い
異なる感性などないのだから
鏡(「君」)に苦悩することは無い
善悪、常識、ルール等人間が司る万物は全て私の主観に収まるのだから
目標を持つことがない
目標を立てるほどの刺激が無いのだから
つまりだ、
もしも君が”私”であったなら、
私は惰眠を謳歌し、良く言えば穏やかに、悪く言えば空虚に息をしていると言うことになる
それを君が”君”である現状と比較するなら、
私の「幸せ」はどちらに当てはめられるだろう?



6/15/2025, 10:35:47 AM