見咲影弥

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 海の底には墓標がある。誰の目にも触れられず、ひっそりと彼らは眠っている。

 昔祖母に聞いたことがある。戦争で亡くなった人が海の底にいるなら、拾い上げて遺族に返してやればいいじゃない、と。彼女は、悲しそうな顔をして首を横に振った。

「沈んだ船舶自体が亡くなった人の墓標なんだよ。それをむやみやたらに弄るというのは墓荒らしとおんなじさ。そこはもう神聖な場所なのさ。彼らは海に出て、勇敢に戦って、死んだ。あすこに眠っているというのは誇り高いことでもあるんだよ」

今の世代の感覚じゃ分からないだろうけどね、そう言って彼女は胸元のペンダントの蓋を開けた。中には写真が嵌められていて、若かりし頃の祖父と祖母の姿だった。

私の祖父も、静かな水底の何処かで眠っている。

私は何となく察していた。祖母は諦めたようなことを口では言うけれど、心の内ではまだ彼のことを諦めていないということを。どこかで、別の誰かとしてでもいいから、生きていてほしい。そんな淡い期待を胸に持ち続けているということを。

死体を探さないのは、きっと、そういう意味もあるんじゃないか。今となっては、もう本当のところは分からない。

 彼女は、一月前、末期癌で息を引き取った。

 彼女の寂しげな顔を今になって、ゆるゆると思い起こす。

 死に別れてしまった二人。彼女はずっと、彼に会いたかったに違いない。彼のいない、長い人生、どれだけ心細く辛かっただろうか、考えるだけで胸が傷んだ。彼女も、彼の元に行かせてあげたい、そう思った。

 彼女の遺灰を海に撒いた。海葬、というのだそうだ。彼女は大いなる海の一部となった。彼のいる海に解けた。静かな海の底でひとつになった彼らに、海上から祈りを捧げた。

 




1/20/2024, 1:29:23 PM