『じゃあ、私はどうすればいいの?』
あの日、私が最後に彼に放った言葉は、今時ドラマでも使われぬような安っぽく陳腐な台詞だった。
土砂降りの雨と夜の闇で、雨の音が激しく鳴り止まぬ中、奴は一言すまない、と言ったきり口を噤(つぐ)む。
少し離れた場所に立つ奴の表情は此方からは伺い知れない。が、見えなくても私には分かる。分かってしまう。
どうせこいつはいつものように、すました顔で、冷たい瞳で、こちらを見ているのだ。
いつもそうだ。こいつは決して胸の内を表情には出さない。口にも出さない。
笑いもせず、怒りもせず、ただ淡々と話をするだけ。
感情的になる事も一切ない。
すまないと謝った事だって、本当にそう思っているのかも怪しい。
始めたのは私からだった。
あれは高校生の時。
常に冷静沈着、頭脳明晰、運動神経抜群で顔も良い。
ただ、その冷た過ぎる雰囲気のせいなのか、高嶺の花過ぎるのか、実際に話しかける女子は居なかった。
というか男子すらあまり話しかけて居なかった。
要は孤高の存在だったのである。
今思えば本当に陳腐な話だが、その時の私は『誰とも群れないで居るなんてかっこいい』とか何とか思い、こいつに本気で恋をしてしまったのだった。
告白を了承してもらえたのは驚いたが、今振り返ればカップルらしい事は全くしなかった。
ただ、一緒にいただけ。
いや、本当の意味で一緒に居たのかも怪しい。いつも、何をするにも連絡するのは私の方からだったし。
奴にとって私は何だったのか。私はどうすれば奴の特別になれたのか。
悔しさと悲しさ、無力感に押しつぶされそうで、私はそのまま、差している傘を地面に投げ付け、その場を走り去ったのであった。
――――と、まあ、それで終わる話であれば只のホロ苦い過去というだけで済んでいたのだが……。
あの別れから十数年経過したつい先日の事である。
帰路に着くべく夕焼けに染まる道をただひたすらに歩いていた私は、十メートル程先に見覚えのある姿形を見つけてしまった。
すらりと伸びた背、長い手足、珍しい色の髪――――
後ろ姿ではあったが、見間違える筈もない。
間違いない。奴である。
その瞬間、私は(実質的に)フラれた事さえすっかり忘れて、奴へと駆け寄ろうとしていた。
だがその瞬間。
凄まじい足音を轟かせて、私のすぐ横を巨大な何かが通り過ぎたのであった。
(え……ゴ、ゴリラ…!?ゴリラか…!?)
あまりのガタイの良さと勢いで人間だと認識するのですら時間が掛かった。
ゴリラが通り過ぎただけでも驚いたのに、そこから更に衝撃的な事が起こってしまう。
ゴリラの足音に、奴がゆっくりと振り返った。
その瞬間の奴の顔。
遠方でも分かる。あれは―――
(……嘘だろ。笑ってるじゃねーか)
ゴリラが何か叫んでおり、それに対して奴が嫌々そうにしながらも何かを返しているの見た時、私はあの日投げかけたあの質問の答えを十数年ぶりに叩き返された気がした。
『私は、どうすればいいの?』
答えは簡単だ。どうする事も出来なかった。
私はあのゴリラにはなれなかった。
それが全ての答えである。
私は踵を返し、家とは反対方向へと歩き出した。
(…ちっくしょーーー!)
奴に対して未練は無い。けれど今この瞬間、ようやく私はあの日から時間を進めることが出来た気がした。
終われない。私はこのままで終われない。
私は私の道を、私の幸せを見つけてみせる。
背後には夕焼け、眼前には其れを染め上げる藍色の空。
その中に私は、輝く一つの星を見た。
――――
昨日書いた『宝物』と繋がっているお話です。
良かったらそちらも読んでみて頂けたら嬉しいです。
11/21/2024, 3:43:57 PM