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ひらり

前説

だいたい、自分を高く高く置いて他人様に「あのね…」とか「寄り添う〜」とか言って自分が手を差し伸べているんだとマウント取る人に限って、逆をされると火でもついたみたいに「マウントだー!」「傷つけられたー!」と叫びます。私は鏡ですので、相手の態度を写すようにしています。自分をセンセーと名乗る人にはセンセーとして、マウンターにはマウンターで、
慇懃無礼には慇懃無礼で、素直な人には素直に謙虚な人には謙虚に接します。長年接客営業職でしたので、人の態度出方により接し方を変えます。別に今更誰かに好かれたいとか良く思われたいという気持ちもありませんので、最近は特にこの相手の欠点を写す鏡になって、人間を観察しています。癖のないフツーの人ほど引っ張られますよね自分の欠点や弱点に(笑)そして大騒ぎして鏡に写った自分に石を投げる面白いです。

しかしまあ、「隣徳の不正」とはおかしな造語です。出会ったばかりの意味不明な造語です。
こんな造語が作られて日本語は変化して行くのかも知れないと、またひとつ危機感を覚えた出会いでした。「確かに新しいですねセンセー」

何方が考えられたのか知りませんが考えた方「隣(燐)徳」の意味理解してこの言葉作ったのだろうか?「隣徳… 徳のある人には必ず隣に助ける人がいる」という意味。それの「不正」ですよ〜。「美しい心は不誠実極まりない」とか言ってる感じ?

「徳」と云う言葉を単に地位とか位とか職業とかくらいにしか取ってないのでしょうかね?なんとなくだから今時「上級国民予備軍」なんて使うのか?私はこの「隣徳の不正」という「綺麗な心は汚い」みたいな意味不明な言葉を目にしてから、言葉の意味を考えあぐね、ついに今日義父の一周忌に来て頂いたお坊様に「隣徳の不正」と云う言葉意味分かりますか?と尋ねてみました。日頃から親しくさせて頂いているので、気安く法事のあとの世間話に聞かせて頂きました。

するとお坊様は「生臭坊主めが!ってな意味かのぉ、、」と笑っておられ。「弘法も筆の誤りと云う言葉もある、隣徳のあるような人でも間違いもする」と解釈するのが「隣徳、と云う言葉に相応しいのかも知れませんね」と説いて頂きました。ひらりと知恵の袋に舞い降りた言葉の種に納得出来た雨の降る義父の一周忌でした。

何だかんだと、良き「考える」お題を頂いて感謝しております。


「ひらり」

さくらひらひら舞い降り落ちて
揺れる想いのたけを抱きしめた
君と春に願いしあの夢は
今も見えているよさくら舞い散る

電車から見えたのはいつかの面影
二人で通った桜の大橋
卒業の時が来て 二人は故郷を出た
色づく川辺にあの日を探すの

書きかけた手紙は「元気でいるよ」と
小さな嘘は見透かされるね
巡りゆくこの街も春を受け入れて
今年もあの花が蕾をひらく

君がいない日を幾つもの乗り越えて
気づけば遠くに来たのかも知れないし
あの頃のままなのかも知れない
今、あの日を思い出し手を伸ばす
「本当に好きだったんだ」
この想いが春につつまれて行くの
「互いに悪かったし悪くもなかったの」
あの曲がひらりと流れて行くよ
「若くて不器用で純粋に傷つけ合った」
かけがえのない日々を有り難う

桜ひらひらひらひら舞い降りて
舞い踊る想いを抱き締めた

幸せでいてくださいね
私よりも…

桜、ひらり


「SAKURA」  作詞 水野良樹 
 
 リスペクトオマージュ

互いに、はじめての恋が終り、それからなんども桜は咲き舞い落ちて行きました。互いに人生で一番難儀な時に出会いました。
この曲は、私たち夫婦には少し若い曲なのですが、互いに世の中のことが、まだよく分かっていなかった頃の、溢れるばかりの春の日差しに、ひらりひらりと風に舞う桜を見上げ手を伸ばしていた頃を想いながら聞きます。そして現実に寄り添い共に生きる人と会えたことを喜び労いながらまた聞きます。

他の御夫婦はどうか知りませんが、私たち夫婦は互いの元彼元彼女との想い出をよく話ます。不思議でしょうか(笑)けれど、その青春の一時に共感したり、ちょっと不思議な嫉妬をしたりする気持ちも含め、その全てが今のこの人を作っているのだなぁと思うとなんだかとても、有り難い気持ちになるのです。


令和7年3月3日 

             心幸 

後書き

今夜も、皆様センセー方々の素晴らしくオリジナリティ溢れます文章を夫と二人で楽しませて頂いております。 感謝 合掌 

この文章が誰かに届くとか誰かを救えるなんて偉そうなことさらさら思ったこともありません笑、誰かの前に、この文章がひらひらと舞い落ち読んでみたらチクリとしたりフフンと笑ったりフンとしたりしたら最高だなとは思いますが、そもそも誰かの為になんて偽善的なことではなく、自分の気づきの為に日々心に湧く想いをお題と絡め書いてます。
書く練習の練習帳です。

書いていると他人様の鏡をしながら自分を考える。早い話、人の振り見て我が振り直せですね、有り難いことです。 
自分の文章が誰かを救うなんて
凄いそれ(笑)

オリジナリティは大切だが、造語を使い回して言葉を崩すのは程々にしてもらいたいものです。変革と言うが新しければ良いと云うものでもない。そこには元来の言葉へのリスペクトがなければいけないし、愛がなければいけない。だから模倣は大切だが、模倣となりすましは違うということは心得ていなければならない。模倣は元祖に敬意を払い自らを模倣と名乗るが、なりすましはそれをしない。おかしな造語を意味もきちんと捉えず作ることと似ている。なりすましはいけないよwww また、午前3時の白ヤギ黒ヤギ問答はじまるかなぁ?

う〜ん、確かにwww 
「言ってよって言う人には、言っても分からない」確かにwww だってアナタの言葉聞く気ないものね、きっとそういう時にそういう人。
人は見たいものを見たいように見ると同じに、人は聞きたいものを聞きたいように聞くのでしょう、だからひとつの物語でも違う感想が生まれる。けれど、とりあえず自分の気持を言葉に出来る人は、妬んだり怨んだりしなくて良い分楽だよね。 聞いていない同士なら離れて行く同士なら良い人ぶる必要もないのにね。自分が去りたいと思う人は、お互い様で相手も去りたいと思ってますよwww だからあなたが傷つく言葉をかけるのでしょう。相手もそんなに馬鹿ではないはずと考えないのかしら。 他責思考って云うのはあくまでも私は被害者なのかぁ(笑)勉強になります。


私は、寝ます。
おや、すいみ〜🐠

3/3/2025, 1:35:57 PM