ナナシナムメイ

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〈お題:私の名前〉

道草。枯れ木。赤く点滅する信号機。
映像に捉えた日常に、我は存在しない。
撮っているのも、我の両親である。
我は常に両親の撮る映像を眺めている。

外に出たいと願う事はあっても、それを許してくれる両親ではなかった。
なにより我が自由を望む事を許さない。

両親はしょっちゅう授業を映像に収めては我に勉強すべしと言い付ける。
我は勉強が嫌で、故に反抗するが両親はとても弱い。心身共に弱い。とても簡単に引き下がってくれる。

外に出なければ、大抵のわがままを許してくれた。昔は外に出てよく遊んでいたのに。
昔は、我が映像の主役だった。

今はもう、映像を傍観するだけである。
日常をひたすらに見せられる。
飽き飽きしていても、両親は嬉々として映像を撮る。我には少し退屈なシーンが続くのに、両親は楽しそうである。

我は不貞腐れるのにも飽きているから、「あーだこーだ」言いながら視聴するしかない。

両親の身体はとても弱い。心身共に弱い。
だから、両親が疲弊して寝込んでいる時には外に出て遊ぶ事ができる。
外の人たちは両親と仲が良いから、外で遊んでいるのがバレたら両親にチクるやつばっかりである。堂々と外出出来ないのが辛い。

だから、我は両親が疲弊して寝込んでいる時や、疲れて眠り転けている時に隠れて遊ぶ事が得意になった。両親から奪ってしまった非日常を持ち腐れさせるわけにはいかない。
我は、両親から非日常を奪ってしまった悪い子なので、両親に苦労はかけたくない。

今日も疲れが溜まっているのか、深く寝ている。いつものように外に出ると、両親の目の届かないところで我は叫ぶのだ!
「非常に解放されよ!」

非日常はとても賑やかで、日常では見向きもされなかった両親は更に疲れて床に臥せてしまったらしい。

非日常は素晴らしいことがよく起こる。
なんと私の名前がテレビや新聞に掲載された。

7/20/2024, 5:09:06 PM