一尾(いっぽ)

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→短編・ワタシダケ

医者と患者が診察室で向かい合って座っている。
「あの、これなんですけど……」と女性患者がオズオズと右手の甲を差し出した。
一部分が抉れたように陥没し、そこから2センチほどの軸の細い灰色のキノコが生えている。
「はー、こりゃまた見事なコンナメとワタシダケですねぇ」
医者の感嘆の声に、患者が嘆き声を上げた。「どうして私だけこんな目に!」
エヘンと咳払いをして医者は診察を始めた。
「このワタシダケはいつ頃から生えてきたんですか?」
「わかりません。今日の朝、起きたときにはもうこの状態だったんです。ワタシダケって、こんなに急に育つものなんですか? それにコンナメまでできちゃって」
「人それぞれですけど、寝ている間に育ったんでしょうね。昨日、何か不満を抱えるようなことはありましたか?」
「えっと……」
患者を促すように医者は補足した。「ゆっくりでいいですよ」
患者は前日の出来事を頭でなぞるようにしながら話した。
「昨日は……仕事が忙しくて、家に帰ったら倒れるように寝ました」
「あなたの仕事で忙しかった?」
「いいえ、頼まれた仕事だったんですけど、頼んだ人は先に帰りました。それなのに私だけ残業して……、そっか! その時に思いました! どうして私だけこんな目にって!」
それまでの不安そうな顔が、突如として明るくなる。医者はその表情の変化をカルテに記入した。表情、ヨシ。
「ウオノメが皮膚の特定部位への過剰刺激から来る疾患であるのと同じく、コンナメは過剰な不満感が皮膚に芯を持って現れます」
医者はワタシダケとコンナメの境を消毒液を浸した脱脂綿で拭った。「ワタシダケには数種類ありますが、今回あなたの手に発芽したのは、コンナメを苗床とする種類ですねっ、と!」
―プチッ
「イタッ!!」
いつの間にか医者はピンセットで患者のワタシダケを引き抜いていた。
「コンナメの原因が分かれば、ワタシダケはそこに寄生しているだけなので、菌糸が少しぐらい残っていても問題ありません」
「そ、そうなんですか?」と患者は突然の痛みに目を白黒させた。
「えぇ、コンナメの最大の効果薬は『気の持ちよう』です。ワタシダケにも有効です。今回、早めに受診されたので、『気持ち』が迷ったりねじれたりせずに済んだことも大きいと思います」 
「じゃあ……」
「はい、今回の診察だけで十分だと思いますよ。今日はなるべくご自身の心の声を基準に楽をさせてあげてください。うまく行けばコンナメも入浴時にふやけ落ちるかもしれません」
「ありがとうございます!」 
医者は、晴れ晴れしい顔で診察室をあとにする患者の後ろ姿を見送った。
「お大事に」

テーマ; 私だけ

7/18/2024, 3:00:39 PM