鯖缶

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「あ、ここのお店寄っていい?」
彼女と朝からショッピングモールで映画を観たあと、軽く何か食べようと飲食店に向かっている途中だった。「ん? いいよ。」と返事をしてからそこが雑貨屋のたぐいであることを認識し、俺は少し後悔する。
「ありがと。ちょっと見るだけだから。」
その言葉に何度裏切られたことだろう。
彼女に続いて店内に立ち入ると、花のようなお菓子のような甘い匂いがする。

キラキラ、ふわふわ、モコモコ、プクプク、ひひら…と俺は彼女が手にする品に心の中でオノマトペを当てていく。
「これいいなぁ。」「かわい~。」「置くとこがなぁ。」「いい香り。」「手触りいい。」
なぜ、彼女はほぼほぼ買いもしない店の物をこんなにじっくりと見て回るのだろう。
(お腹空いたなぁ…。)
空腹を紛らわそうと興味のない店内をざっと見回したとき、それが目に飛び込んできた。
ガラスでできた小さなひな人形。
それと共に、建て替えられて今はもうない子供の頃の実家の景色が蘇る。

深い海のような青をメインに作られた男雛。
淡い桜色をメインに作られた女雛。
雛祭りの時季が近づくと、靴箱の上に綺麗な布を敷き、ちょこんと並べて置かれていたそれ。
俺の家は兄貴と俺の二人兄弟だったから、それは母か祖母の物だったのだろう。
日の光に当たると揺れるような青とピンクの光が透けてうつった。
子供の頃の俺には宝石のように輝いて見えて、触らないよう言われていたのについ手に取ってしまった。
「ガラスの雛人形?」
隣から不意に彼女の声がして、俺は雑貨屋に引き戻された。
「あ…子供の頃、実家で見たやつに似てて…。」
たぶん母さんのだったんだけど俺が壊して、と歯切れ悪く続けた俺に対し彼女はにっこりと笑いながら言った。
「買っちゃいなよ。」
「え?」
「買い物は出会いだよ。」
「いや、でも…。」
「毎度毎度君が嫌になるくらい店内をぐるぐるうろつき回って手にとってぐりぐり見回しても買わない私が言うんだから間違いないって。」
説得力があるような、ないようなよくわからない言い分だったが彼女の顔は自信に満ち溢れている。
「で、お母さんに送ってあげなよ。」

後日、メッセージアプリに母から写真が届いた。
それを彼女に見せると「お父さん、お母さん、君だね。」と笑った。
今の実家の靴箱の上に並んだのは3体の雛人形。
女雛を挟んで男雛が2体。
あの時、割ったのは女雛だけだったことをその写真を見て思い出した。



あぁ、タイムオーバー…。



3/4/2023, 10:16:24 AM