音の無い夜。全てが世界から消えてしまったかのような静寂。自然豊かな場所に立つこの家はとても広い。普段ならもう少し人の気配や物音が控えめに空気から伝うのに、今日はそれが無い。計画が上手く運んでいることを肌で感じながら、呼吸を整える。息を吐く音が鮮明に聞こえた。
目の前の豪奢な扉を押し開くと、天蓋の掛かったベッドで寝息を立てているのが見えた。
紅茶色の髪も瞳も、暗さで閉ざされていても脳裏にはっきりと浮かぶ。鮮やかに思い出せる。もうずっと長いこと見てきたから。
だからといって、ためらうことは許されない。そもそもそんな感情も感傷もないけど。眠りの深さを確かめてから、指示通りに薬を投与する。
「おやすみ、さよなら」
届くはずのない挨拶をして、額に口付ける。愛着があるわけじゃなく、ただの儀式。いつもと同じ繰り返し。せめてあまり苦しまないようにと、それだけを願って。
部屋を出て少し待つ。ほんの数分、あの子がのたうち回る音がして、止んで。先程出てきたばかりの扉を数センチ開けて中を覗く。床に倒れた人影がもう動きそうもないことを確かめて近付いた。
「呼吸、脈、瞳孔」
確認漏れのないように呟きながらそれぞれを確かめる。骸になったそれをベッドの上に戻して今度こそ部屋を出た。窓の外に、月が見えた。
「お疲れ、おかえり」
屋敷の門を抜けると、一台の車と見知った顔がいつも通り待っていた。
「ただいま、終わったよ」
後部座席に乗り込んで、深く息を吐く。
「久し振りだね。今回少し長かったから」
僕がシートベルトをかけたのをミラー越しに確認すると、車はゆるやかに発進した。
「そうだね。二年振りのただいまだ」
僕と君が出会った日。それよりももっとずっと前から、この結末は決まっていた。
〉最初から決まってた
8/7/2022, 1:35:17 PM