"あなたのもとへ"
彼女は忙しい人だった。
僕が静かにできるようになると、朝から晩まで家を空けるようになった。
朝、いってらっしゃい、と手を振って。
する事もなく、ぼうっと彼女が出ていった扉を見つめる。
部屋には玩具もTVも本もなく、食べ物だってなかった。エアコンなんてものも存在しなかったし、はるか頭上の窓は当然のように締め切られていた。
水道の蛇口には背が届かなかったから、どうしても喉が渇いた時には洗面器に入った水に口をつけることで凌いだ。
待って、待って、待ち続けて。
トン、トン、と待ち望んだ足音が聞こえた。
ガチャリと鍵が開けられ、ドアノブが回り切る前に扉に駆け寄る。
おかえりなさい、と抱きつくと、いつも彼女は"いい子ね"と頭を撫でてくれた。
不在の時間が徐々に長くなり、帰宅が翌日の朝になり、夜になり、更にもう1日、2日と経つと、さすがに堪えるようになった。
あなたは知ってるかな。
ひもじくて、自分の腕を齧るほどの飢えを。
痕が残ってしまったことでバレてしまったその行為は、結果的には良かったのかもしれない。彼女は僕の身体の見える位置に傷が出来ることに対して酷く神経質だったから。
それからは長く家を空ける際には菓子パンを与えられるようになった。
今でも彼女を嫌いになりきれないのは、
抱き締めてくれた時、
あなたのもとへ帰って来られた今が幸せなのだと、
あなたが家で待っていてくれるから頑張れるのだと、
彼女が泣きながら笑っていたのを覚えているからだろうなぁ。
なんて、彼女に対して怒ってくれた貴女には絶対に言えないな。
1/15/2025, 12:18:19 PM