行かないで
って言えたらどんなによかったことか。
あの時、遠ざかる背中に手を伸ばさなかったのを今でもずっと後悔している。だけど、心のどこかでは引き留められなかった自分に安堵している矛盾した気持ちもあって、やっぱりずっと気持ち悪いままだ。
真っ赤な夕焼けに消えていくあの人が翻すコートの端に手が触れていたら、きっと現状は無いのだろう。あの人は優しいからきっとこんな地獄を受け入れてくれる。そうして変わり映えのしない生温い日々をずっとずっと繰り返していくのだ。あの人の地獄はわたしの天国。
だから引き留められなかった。
あの人の瞳には未来が映っていて、その中にはわたしもちゃんといたのだけれど。わたしの目には雁字搦めの過去しか見えていなかった。宝物ばかりを詰め込んだ大事な大事な過去。無数の骸のような宝物たちが行かないでって足を引っ張る。手を引いてくる。首を絞めてくる。
そうしてわたしはあなたの未来にならなかった。
行かないでっていえなかったこと、今でも後悔している。
どこかで輝いているあなたが恨めしい。
せいぜい元気に生きて、時々頭の片隅にわたしを思い浮かべて心に靄を燻らせるといい。
今度は私があなたに行かないでって言わせてやる日まで。
10/24/2024, 7:59:35 PM