Werewolf

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【ないものねだり】*BL *グロテスクな表現があります

 生活というのは単調で、どうにも堪え難いものだ。起床、食事、ニュースのチェック、出勤、業務、昼食、業務、退勤、ニュースのチェック、就寝。一般的に言えば「良い生活」なのだろう。金に困ることもない、誰かに特段の迷惑もかけていない。胸が悪くなるほど普通だ。
 裏で、人も殺していた。もう何がきっかけだった顔も覚えていない。ただ普通の生活が出来なかった。高校生の頃には、そういう仕事をしていたと思う。元締めにいつ誰を殺せと言われて、それを遂行する。死体の処理は、やってもらえることもあれば、任されることもあった。それももう慣れきってしまって、「普通」の一環だった。
 仕事を始めた当初は良かった。知らないことも多かったし、ミスをどう挽回するかも考えるのは楽しかった。そういうことはあっという間になくなってしまって、ただ生きるための呼吸と同じように仕事をしている。そうなるまでそうかからなかった。
 そんな中で、「刺激」があれば良いのではないかと思った。休日に各地の遊園地に赴き、絶叫アトラクションを乗り回す。バンジージャンプや登山などの、免許のいらないアクティビティもやりつくした。激辛や激臭などの食に関するものも少し試したが、そっちは面白くない気持ちが優ったのですぐにやめた。映画、ドラマ、アニメ、音楽、とにかくなんでも「刺激的だ」と評価されるものに触れてみたのだが、全くと言っていいほど心は凪いでいた。
 そんな折に、本当に偶然、全くの偶然に、自分が殺すために捕らえた男が「喰われた」。得体の知れない化け物が、大きな口で男の頭を噛み砕き、首をもいで、咀嚼の後に飲み込んだのだ。首から引き摺り出される食道、肺、胃。肉だけでなく内臓も、骨も残さず飲み込んだ。足元に残った血溜まりだけが、さっきまでそこにターゲットがいたことを匂わせている。
「……あ、ど、なに、今の」
 化け物が喋った途端に、しゅるしゅると顎が縮んで、手足も小さくなって、引き伸ばされてでろんでろんになった服を着た若い男に変わった。
 見たことも、聞いたこともないことだった。それがどれほど紫堂の心を震わせたか。紫堂は若い男を捕らえて何者なのか問い詰めたが、彼自身もわかっていなかった。伊黒と名乗った彼を拘束したまま、あれこれ調べてみると、人の中に紛れて生きる、人を食う生き物がいる、という都市伝説が目についた。まさに、伊黒のことだ。伊黒は混乱した様子だったが、紫堂が都市伝説のことを話して聞かせると、「じゃあ、ボクはまた誰かのこと食べちゃうの……」としょげかえった。
 しかし実際は相当本能のようなものに振り回されるらしい。拘束している時に依頼で殺した人間の死体を前に出してみると、伊黒は嫌だ嫌だと言いながら、口から涎をこぼしていた。拘束を外すと、異形の獣に変わって、またそれを貪り食った。その姿が、紫堂の心を鷲掴みにしていた。
 ああ、これが、きっとこれが。この生き物を手なづけるなり、伊黒が望むように人として生きられるようにするなり、とにかくわからないこと、知らないこと、未知への挑戦だらけだ。
 ようやく見つけた「何か」を目に、紫堂は交渉を持ちかけていた。

「おいし〜!」
 にこにこと頬を押さえながら、ケーキにフォークを差し入れる伊黒の姿を見る。自分の前にはコーヒーだけだ。特に甘いものに興味はない。この前の死体の処理の褒美として、少し値の張るタルトを買ってきてやった。それだけでしょげていようが怒っていようが、ある程度機嫌がなおるのだから安いものだ。
「シドちゃん、あーん」
「……」
 紫堂は差し出された一口分を眺める。クッキー生地の上にカスタードクリームとゼリー状のコートがされた苺、またクッキーのボロボロしたやつが乗ったタルト。上に緑の葉っぱも乗っている。これの何がいいのかわからない。卵と牛乳と小麦粉とバターと苺と、いくつかの製菓素材の組み合わせで作られた焼き菓子。いつまでも目の前から退かないそれをしばらく見つめてから、紫堂は口を開いた。差し込まれた焼き菓子を咀嚼する。思いの外、苺の果汁が甘酸っぱい。牛乳と卵黄を混ぜ合わせたクリームと合わさると、爽やかな甘みになった。バターの香りが鼻を抜けて、冷蔵されたタルトのはずなのに妙に温かい感じがする。
 どうにも、この伊黒といると、いつもと世界が違ってくるらしい。それが紫堂が彼を手放せない理由になっていた。

3/27/2026, 3:06:48 AM