ドルニエ

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 奴の視線は難しくない。憧れ、屈折、欲情、堕落、苛立ち、焦り、こもっているものは色々あるが、読みとるのは簡単だ。だからこそ征服しがいがある。奴はそれを望んでいる。それは圧倒的に正しい。同時に、なにものかから開放されたがっている。奴が言うにはそれは「故郷」らしいが、おそらくそこで染みついたもの、なのだろう。私に征服されることと、その関係は分からないが。
「あの、****さん。今夜――」
 そう、私の部屋を訪れた奴がせつなげに訴えてくる。
「いいや、気分じゃない。またな」
「そうですか。では――」
 だが、私はその申し出を蹴った。奴は少ししょげた様子で、水差しから注いだ水を呷る。いじめたいわけじゃない。焦らしているわけでもない。ただ、今夜じゃないだけだ。
「では」
「待て」
 そう、短く言って辞そうとする奴を私はやはり短く呼び止める。
「そう構えるな。今日じゃない。――今でもないぞ?」
「はい」
 ではいつ、と訴える奴の胸倉を掴み、引き寄せる。奴はあくまで無抵抗だが、重心のとり方から、奴の意思は明らかだった。
「――」
 黙って唇を奪う。舌を差し出すと、奴は黙ってそれを受け入れた。
「――」
「――」
 奴の息は異常に長い。以前海に落ちた宝石を拾ってきたことからそれは分かっていたが、奴が音をあげるまえに、私が唇を離した。
「あの」
 そう、おずおずと問いかける奴はまったく息が乱れていない。
「生意気だな」
「え?」
「今してやってもいいが」
 だが、やはり気分じゃない。奴を突き放し、その濃い色彩の目をのぞき込む。深いようで浅い黒目に囲まれた瞳に青が見える。
「明日、K****で待っていろ。気分がのれば迎えに行く。いいな」
「はい。あの、待ってます。できれば僕が酔いきらないうちに」
 その瞬間、奴の瞳の青が煌きを増し、並外れた色を見せた。――実に単純だが、しかし、その奥に灯る暗さも奴は隠せていなかった。それは旅団長も、他の誰もが見落としている鈍い光だ。それがひどく憎くて、ものにしたい。そんな私の欲望を、こいつは察しているのだろうか。
 どっちでもいいか。
 どのみちこの男は――。
「行ってくれ」
 そう言ってわざとらしく興味を失った、つれない女の顔をして奴を突き放す。
「待っています。......」
 たまに口にするよく分からない、どこの言葉ともつかない何かを低くつぶやき、奴は部屋を出た。
「......」
 ひとり残った部屋で私はす、と短剣を抜き、すぐに鞘に戻す。理由はよく分からない。投げるものでなく、格闘向けの重さと振るいやすさを重視した一本だ。
 奴はすでに諸手をあげているようでいて、その実まったくそうではない。
「本当に、生意気なやつだ」
 私に奴が征服しきれるのだろうか。
 単純なくせに水のように捉えどころのない奴が。
 ――まあ、そうでなくては面白くないな。
 私はそう心に決めるようにして、奴が残していった、よく冷えた水をひと息に飲み干した。

9/24/2023, 2:17:42 PM