「そこのお嬢さん――遺書を書きませんか」
新手のナンパ、宗教勧誘、怪しいビジネス。この正気とは思えない誘いは、星の数ほどある迷惑行為や犯罪のどれにカテゴライズされるのだろう。
「……遠慮しておきます」
我ながら無難な返答。鴉色のコートを羽織った目の前の男性が、まさか断られるとは、というふうにキョトンとしている。一体どこに驚く要素があるのか。
ふむ、と難しい顔をしてみせた後、彼は何かを思いついたのか、ぱっと顔を輝かせて名刺を取り出した。
「申し遅れました。ワタクシ死神センターの職員です」
ああどうも、なんて素直に受け取れるはずもなく。私は生物的な本能で勢いよく踵(きびす)を返した。
「――貴女、理由もなく死にたいんでしょう?」
足が止まる。
「死にたくないけど、生きたくもないんでしょう?」
警戒しながらも視線だけ声の方に向けると、彼は今しがたの鋭い指摘が嘘のように、ニッコリと微笑んでいた。
「遺書をしたためるとは、いわば人生の整理整頓。散らかった記憶を断捨離して、感情を整理して、そうしてまた、生きるのです。―――明日も、その先も」
帰り際にもらった、少しパリッとした手触りの薄汚れた便箋。そしてこれに綴るのは、宛先のない遺書。
拝啓なんていらない。
目覚める瞬間、絶望する。
眠りに落ちる寸前、恐怖を感じる。
理由もなく、死にたい。
死にたくないけど、生きたくもない。
そんな酷い矛盾を抱えている。
それでも、まだ。
光と闇の狭間で、私は明日も、生きる。
【光と闇の狭間で】2024/12/02
12/3/2024, 9:56:38 AM