※昨日書いた話の宇宙さん視点です。
気付いた時から、私は人ならざる「怪異」であった。どのようにして誕生したかなどわからない。誰かによって作られたのか、何の前触れもなく自然発生したのか、人間から変異したのか。
己のルーツについては本当に何一つわからない私であったが、己がどう生きていくべきなのかは本能で理解していた。右手で誘き寄せ、左手で食べる。ただそれだけ。あまりにも単純すぎる、何の苦労もしない生き方だ。
怪異という存在は私以外にもこの世界にたくさん溢れている。例えば有名どころで言えば口裂け女、人面犬、海外のスレンダーマンなど。彼らが有名な怪異として存在し続けているのは、誰かに見られ、その誰かが生き残り、別の誰かに話をし、その話が人から人へどんどん拡散されていくからだ。そうして一度広まった噂は、そう簡単に人々の記憶から消し去られることはない。ゆえに、彼らは現在でも有名な怪異としてその名を馳せている。
しかし私はと言えば、怪異の中でも無名も無名。誰一人として私という怪異の存在を知らず、私含め誰一人私の名すらわからない。二つの意味で、私は本当に無名の怪異なのである。私の存在が噂とならないのには、明確な理由がある。答えは単純。私と遭遇した者は、生きて帰ることがままならないからだ。右手に隠された“撒き餌”は、内包されているモノがモノだけに、一度人目に触れさせるだけで結構な量の体力・精神力を消耗させられる。なので、基本的には“撒き餌”を見せたらすぐさま左手で“食事”を完了させ、使用したエネルギーを即補充。それが本来の私のやり方、生き方だった。
だが私は、次第に自分の在り方に疑問を抱くようになる。わざわざ人間を捕食する必要があるのだろうか? という、怪異らしからぬ疑問だった。右手を解放させない限り、私は体力が減ることもなければ腹が減るようなこともない。それならば、右手を使用しなければ人間を食べる必要性などなくなるのでは?
その答えに行き着いてから、私の心と体は随分と軽くなった心地がした。自分では自覚していなかったものの、どうやら私の心には今まで食べてきた人間達への罪悪感が積もっていたらしい。もう人間を食べなくてもいいんだ! と思えば、とても気が楽になった。そうして私は今まで縄張りとしていた地を離れ、自由気ままな放浪の旅を始めることとなる。
······それが地獄の始まりになるだなんて、その時の私は微塵も考えていなかったのだ。
それは、私がとある廃遊園地に暫く滞在していた時のことだった。自分のルーツについて何もわからないとは言ったものの、自分の出で立ちや外観の影響なのか、その廃遊園地はまるで実家のような安心感で溢れていた。とんでもなく居心地がよかったのだ。お前はここで生まれた怪異なんだ、と言われれば「やっぱり!」とすぐさま納得してしまえそうなほどに、この地と私は非常に相性が良かった。
何をするでもなくメリーゴーランドに腰掛け、天井の西洋絵画じみた装飾を見つめ、私はぼんやりと思考に耽っていた。この遊園地には今でこそ人の気配など一切無いものの、元々は客で賑わっていたはずの場所で、地元住人の中にはここに何度も何度も足を運んだ人間だって居たはずだ。そういった「お客さん」の存在を、私は羨ましく感じた。今までの私のやり方では「一見さん」ばかりで、長期的に通ってくれるような「お客さん」の確保には至らない。
どうしたものかと途方に暮れて居た時に出会ったのが、彼女だった。十歳は超えていそうな人間の少女。何をしているのかと問われ、素直に「お客さんを待っている」と答えたら、なんとその少女は「私がお客さんだ」と言うではないか。とても、とても嬉しかった。あまりにも嬉しかったので、私は張り切って彼女に“宇宙”を見せてあげた。食い入るように見つめる少女の瞳はキラキラと輝き、まるで宝石のようだと思った。私の持つ“宇宙”なんかより、よほど綺麗で美しい。もしかしたら今までの「一見さん」達も、こんな瞳でこれを見つめてくれていたのだろうか。そんな細部まで覚えているわけがない。だってあの頃の私はその先の「捕食」にしか意味を見出していなかったから。忘れたと思っていたはずの罪悪感が、チクリと疼いた。
少女は「また来る」と言い、とても満足そうな顔で去っていった。私はそんな少女の背を見つめ、いつまでも手を振り続けていた。“宇宙”を見せた後に“食事”をしないのは初めての試みであったが、意外と何とかなるものだな、と感じた。それは、少女が見せてくれた笑顔で精神的に充足感を得られたことにより空腹を感じる余裕がなかったのかもしれないが、そんなこと私にとってはどうでもよかった。だって、私にも初めて「お客さん」が出来たのだ。これからも彼女の期待に応えるべく、気合を入れてパフォーマンスをしていかねば。そう、固く心に誓ったのだ。
彼女から“お代”を貰う気なんて最初から毛頭なかった。むしろこちらから何かしら“お代”に匹敵する何かをあげたいほどだと言うのに。しかし生憎私は人間の貨幣など一枚たりとも持っていない。それに、彼女は“お代”を払わないことに居たたまれなさを感じてしまっているようだった。それゆえ、仕方なく口約束だけはしたものの······そんな中で更に彼女へ上乗せのサービスなどしてしまえば、気後れした彼女はもう二度とここに来てくれなくなってしまうかもしれない。せっかくのお客さんを失うことだけは何としても避けたかった。
だから私は、彼女が来る度、あれこれと口上を変えてみたり、見せ方がワンパターンにならないようになど色々気を遣いながら、“宇宙”を彼女にプレゼントし続けた。私が彼女に渡せるものなどこれ一つしかなかったから。
その間にどんどんと月日は流れていき、幼かった彼女は今や美しい大人の女性の一歩手前辺りまで成長を遂げていた。彼女の成長をここまで見守ることが出来た私は幸せ者だったのだと思う。成長した彼女が、幼いあの日に私に名付けてくれた「宇宙さん」という名を口にするのを聞く度、度を超えた飢餓感に勝るほどの幸福が身体中を駆け巡るのだ。
私はどうなってもいいから。初めてのお客さんになってくれた、初めて私に名前をくれた彼女には、このまま生きて、生き続けて、いつの日か私のことを忘れてしまってもいいから、生涯幸せに過ごしてほしいと······そう、心から願っていたのに。
「じゃあね、宇宙さん!」
······彼女は自分から。自分の意思で、私に食べられることを望んだ。私のエネルギーとなって消費されることを望んだ。最後まで、あのキラキラとした笑顔のままで。もうまともに体を動かすことも出来ない私の左手へ、自分から進んで飲み込まれていった。
「ぅ、あ゙、······!」
皮肉なことに、今まで出せなかった声が出せるようになって。
「あ、ぁ······ぅう、あぁぁあ゙ぁあぁぁ!」
今まで心のほぼ全てを満たしていた「飢餓感」が減り、代わりに生まれたのは「喪失感」と「悲しみ」。
「君、だけは······君だけ、は······」
未だに下品な音を鳴らしながら食事を続ける左手を無感情に見下ろし、私は呟いた。
「何を犠牲にしてでも、食べたくなんてなかった」
······こうして、束の間存在していた「宇宙さん」という名の怪異は。
ある少女の失踪と時を同じくし、その行方を晦ませた。
◇◇◇◇◇◇
「人外と人間の話書いてみるかー」と初めての試みを昨日してみて、いい感じのお題が立て続けに来てくれたのでここぞとばかりに。
余談ですが、書き終えた時に頭に流れていたのはアイネクライネでした。
1/19/2025, 3:22:20 PM