郡司

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人間は自分自身の考えを、自分の「外」に反映している。だから、自分自身はもちろん自分が関わるあらゆるものに「自分の考え・観念」をインパクトしている。影響力があるのだ、がっっっつりと。

私の目に映る世界は私が自分の中に持っている「世界はこういうもの」という「考え・解釈・観念フレーム」の反映だ。

さて…現在に私の見ている世界は、私個人に直接関わるのが限定的「部分」であるにせよ、ひどいものだ。言葉にできないほど、酷い。次々と、非道さはエスカレートしたものが展開され、見える世界のトーンを清明なものにしようと足掻くも、新たな闇が深くうごめく。これが鏡なのか?

人間の闇に、もしくは人間が撒いた闇の火種に反応した怒りと復讐心が顕す苦痛の坩堝が放つ残酷さに、飲み込まれそうな何人もの子どもたちの手を、つかんで留めるのが精いっぱいの現況。私はいったい何を、どのレベルで見ている…?

現実から逃げるためじゃない、現実に持ち込むためのvehicle。
消えるためじゃない、照らすためにある光。
こころ喰われるためじゃない、こころ育み成長するための資材である陰と闇。
疲れの自覚は諦めるためじゃない、休養の必要を満たすため。満ちて突破口を狙え。

どんな鏡像だろうと、自分自身の心がいまどこに居るかを知る地図にはなる、というのが現実ってやつのはずだ。現実は現在地を示すだけ…なら、目的地が消えたわけじゃない、きっと。海を目指していいはずだ。

現実は鏡、現実は現在地表示、現実は目的地までの地図。
環境は鏡、身体は鏡、出来事も鏡。
すべて必要な、チャレンジと癒し。

8/19/2024, 5:12:13 AM