『凍える朝。』
黒塔の屋上に、霜が降りていた。
空はまだ白く、風は冷たい。
光莉は手すりに寄りかかりながら、遠くの空を見つめていた。
「……今日も、誰かの命を刈る日なんだね」
足音がひとつ、背後から近づく。
夜弥だった。無言でマフラーを差し出す。
「ありがとう、夜弥。でも、夜弥の首が冷えちゃうよ?」
「構わない。光莉が寒くないなら、それでいい」
「ふふ、相変わらずだね。……でも、私は夜弥にもあったかくいてほしいんだよ」
夜弥は黙ったまま、マフラーを光莉の肩にかけた。
その手は、少しだけ震えていた。
「光莉が他人に優しくするたび、私の中が冷たくなる。私だけを見ていてくれればいいのに」
「夜弥……私が優しくしたいのは、誰かを救いたいからじゃないよ。ただ、そうするしかないって思うだけなんだ」
「それが、私には苦しい」
「……ごめんね。でも、夜弥がいてくれるから、私は立っていられるんだよ」
扉が開き、アンが現れた。
銀の盆に紅茶を乗せて、静かに歩み寄る。
「お嬢様、朝の冷気は容赦がありません。どうか、少しでも温まってくださいませ」
「ありがとう、アン。君の紅茶、いつもほっとするんだよ」
「それは光栄です。……お嬢様の手が、こんなに冷たいとは」
「うん、でも大丈夫。まだ動くから」
「……光莉様」
メアリーが少し遅れて現れた。
三つ編みを揺らしながら、屋上の端に立つ。
「お身体、大丈夫ですか? ……その、無理はされていませんか?」
「メアリーも来てくれたんだね。ありがとう、心配してくれて」
「べ、別に……心配ってわけじゃ……ただ、寒そうだったので」
「ふふ、優しいね。メアリーは、ほんとはとってもあったかい人なんだよ」
「……そういうことを、さらっと言わないでください。……困ります」
夜弥がメアリーに視線を向ける。
「光莉に近づくな。おまえの言葉は、私には不快だ」
「……夜弥様、それは言い過ぎじゃないですか。私はただ、光莉様のことを――」
「攫うなら、私が先だ。光莉は、誰にも渡さない」
メアリーは小さく息を呑んだ。
けれど、視線は逸らさなかった。
「……夜弥様のように、まっすぐ言えたら、少しは……光莉様に近づけるんでしょうか。……私には、無理ですけど」
光莉は紅茶に口をつけた。
湯気が、冷たい空気に溶けていく。
「……この朝が、ずっと続けばいいのに。誰も死なないまま、ただ静かに凍えていられたら、って思っちゃうんだよね」
アンがそっと言葉を添える。
「お嬢様、それでも任務は始まります。私たちは、死神ですから」
「うん、わかってるよ。……でも、こうしてる時間も、ちゃんと覚えていたいんだ」
鐘の音が、遠くで鳴った。
四人は、静かに立ち上がる。
凍える朝が、またひとつ、終わろうとしていた。
11/2/2025, 4:08:07 AM