ドルニエ

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 ハンドガンを一丁、それが撃てる弾を一発。それがやくざが要求された礼の品だった。青年の拙い手出しで迫ってきていた刑事たちから逃れられた彼にとって、それはあまりに簡単で、少し面倒なしろものだった。決して犯罪に利用するつもりはない。指定した場所、指定した時間以降に来てくれれば、銃は回収できる――そんな冗談のようなことを青年は言っていた。チェーンのカフェで脅すような、すがるような目でそれを口にしたその理由を、やくざは即座に理解した。理解できてしまった。
 だったら俺が「それ」をしてやってもいいんだぞ――そう凄んでみせるも、余計な罪状を背負わせるのも嫌だ、と青年は固辞した。やくざにとってみればどっちでもいいことではあったが、ことをスムースに済ませるには自分が出を下したほうがずっといい。このひょろひょろした青年が土壇場で逃げ出すことだって充分ありうる話だ。だから、やくざはそう提案したにすぎなかった。が、青年は自分で始末をつける、そう言って譲らなかった。彼が何を思ってそれらを要求したのか、そんなことにやくざは興味を惹かれなかった。どこにでもある現実逃避だ。おおかた、働くのが嫌だの、親兄弟とのいさかいが面倒だだの、女といい関係になれなかっただの、そんなところだろう。くだらない。やくざは深煎りのブレンドの、わずかに残っていたのをあおり、分かった分かった、分かったからさっさと帰れ。モノは明日お前の家のポストに入れておいてやるから住所を教えろ、と紙ナプキンを青年の前に滑らせた。青年は胸ポケットに収めていたメモ帳からペンを抜き、几帳面そうな手つきで下手な字を書いて返してよこす。やくざは眉間にしわを寄せてそれを読み、立ちあがった。

 やくざは別のカフェで、青年の要求どおりのものを青年のアパートに届けるよう要請する内容のメモを書いて封筒におさめ、郵便局で手続きを踏んだ。この時間であれば今日中に支部に話が届き、明日午前には青年の要求したものが届けられるはずだ。郵便局から出たやくざは、信号を待ちながら何をやっているんだろうと自分に問うた。青年の要求など放っておけばよいのだ。彼にやくざを追いかける力などない。当然、組織の名も自身の本当の名前も教えていない。彼のことなどさっさと忘れ、ほとぼりが冷めるまで適当な支部で大人しくしていればいいのだ。警察など「上」に金と利権さえ与えておけばどうにでもなる。むしろ青年の要求を素直に聞くほうがリスキーなのだ。
 とはいえ、すでにメモは預けてしまっている。下手にキャンセルして印象に残られるほうが面倒、ともいえる。だから――
 なりゆきに任せる、か。
 やくざは人の流れに乗り、そして街に消えた。

 当初の予定通り、やくざはいくつかの県境を越え、とある地方都市のとあるアパートでつまらない日々を送っていた。警察の追及などもちろんない。最低賃金のつまらない仕事をちまちまとこなし、しみったれた給料と組織からの送金で、倹しくしていれば特段不自由のない日々を送っていた。青年の指定した場所から銃も回収できたと聞いている。
 報告の翌々日、やくざのもとに大きめの封筒に入った青年からの手紙が届けられた。銃を回収した際、そのそばに置かれていた――落ちていたのとは違うらしい。なんとかというゲームのロゴの彫りこまれた、使われた形跡のないジッポーの下に置かれていたという話だ――封筒が、ご丁寧にもやくざのもとに回って来た、というだけのことだ。
 封筒の中にはさらに封筒が入っており、ひとつはやくざに向けられたもの、そしてもうひとつは青年の知人に宛てられたものだった。やくざへの手紙にはそれがどんな相手なのかは書かれていなかった。ただ、どんな内容が記されていたのかは想像がつく。だからやくざは黙ってそれをポストに投函してやった。それでこの問題は時間がすべてを覆い隠すだろう。やくざが法廷に立つこともない。青年の――が見つかるかどうかは分からない。青年の知人はしばらくは重いものを抱えるだろうが、それこそ時間の問題だ。いずれ、その知人も元の生活に戻るだろう。だから、何も気にすることはない。
 それだけのことを思い、やくざは帰宅後のシャワーを浴び、夕食にと買ってきた弁当のふたを外し、冷蔵庫で充分に冷やされたチューハイのプルトップを引いた。なんでもない、ごく普通の日のごく普通の夕焼けが鮮やかな夕のひと幕のことだった。

5/29/2024, 3:08:49 PM