うどん巫女

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誇らしさ(2023.8.16)

「誇りをもつ」という表現は、時折、標語などの目標に対する態度に用いられたりするが、じゃあ一体どんな意味なのか、と問われた時、どう答えれば的確なのだろうか。なかなか言語化の難しい概念であるように思われる。
手頃な辞書で「誇り」という言葉を引いてみると、「誇ること、自らそれを名誉とする感情」と出た。それでは「名誉」とは、と調べてみると、「人の才能や努力の結果などに関する輝かしい評価、その光栄、ほまれ」だそうだ。つまりは、「誇り」とは「自分への評価」なのである。それが相対評価なのか、絶対評価なのかは各人によりけりであろうが、どちらにしても何らかのリスクを孕んでいるように思われる。
相対評価ならば、おそらくその「誇り」は周囲の人々に比べて自身の能力の程度が高い、という自負なのであろう。だが、下には下がいるのと同じように、上には上がいる。ある日彗星の如く現れた麒麟児に鼻っ柱をポッキリとやられて、そのまま立ち直れない…なんてこともあるかもしれない。
逆に、絶対評価ならばどうだろうか。他の何者の手出しも受けない強い精神。それを持った上での「誇り」はさぞかし美しく素晴らしいもののように思える。しかし、だ。誰の忠告も受け入れない独りよがりの「誇り」は、時に他人を傷つけてしまうことがある。何者にも揺るがされないことは、常に好ましいとは限らないのだ。
つまりは、泰然自若にして臨機応変。この一見相反する態度を持ち合わせたものだけが、誇らしさを感じることが初めて許されるのではないかと、私は思うのである。

8/17/2023, 8:15:01 AM