薄墨

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おにぎりがラップに包まれて、横たわっていた。
すっかり太陽が昇った昼過ぎに起き出して、食糧を漁りにきたキッチンに、それはころんと置いてあった。

握る力が弱いのか、完全に三角にならずにやたら厚みのある、歪なおにぎり。
隣にはメモ用紙が添えてある。

ちゃんとメモを見なくても、読まなくても分かる。
お昼ご飯に、姉ちゃんが作ってくれたものだって。
忙しい出勤前の朝に、急いで、でも僕のために、握ってくれたものだって。

具もきっと、僕の好きな梅干しとおかかで。
パリパリの海苔が好みだといつか僕が言ったから、今も海苔は袋に入ったまま、横に添えられているのだ。

泣きたくなった。
なんで、僕の昼ごはんなんて…

今日もだ。
最近は忙しい、早く家を出なくては行けないのだ、と言っていたのは、他ならぬ、昨日の晩の姉ちゃんだった。
でも、おにぎりを置いて行った。

今日も外に出られない、学校に行けない僕に、姉ちゃんはこんな愛情の塊みたいな昼ごはんを置いていく。
些細な僕の好みを満たす、僕の大好きなおにぎりを作って。

母さんが死んだのは、もう一ヶ月も前のことだった。
母さんが死んで、葬式で色んな人が色んなことを言って、周りの好奇の目が怖くて。

そうして僕は、外に出られなくなった。

姉ちゃんは、何も言わずにいつも通り接して、学校に通って、何もしない僕のための家事も全部やって、そうして生きている。
当たり前のように。

それはきっと、姉ちゃんにとって、母さんはいても居なくても変わらない人間だったからだ。

母さんは病んでいた。
身体が悪くて、それが精神にも障っていて。
ここ三年は、何もできない母だった。

だから、母さんが死んでも、僕が何もしなくても、姉ちゃんは、家事をして、愛情を込めて料理して、学校へ行く。
姉ちゃんの作る料理は完璧だ。
僕の細かい好みを把握して、美味しくて変わらない味の料理を作る。
愛情がこもったお袋の味ならぬ、お姉の味。

でも。
でも、本当にこれに愛情はこもっているのだろうか。
このおにぎりに込められた姉ちゃんの愛情は、真っ当な愛情なのだろうか。

いつもそこまで考えると、急に気持ちが悪くなる。
食欲が湧かなくなって、寝るまで治らない。

でもこれを食べなくちゃいけない。
姉ちゃんが悲しむから。

だから僕はいつも、姉ちゃんの作り置いた歪な愛情を、大人しくテーブルまで持っていって、食べる。
苦しい胸と喉に押し込む。
水やお茶で流し込む。

そうやって無理やり食べると、好物の味も分からない。

だけど、僕は言うだろう。
姉ちゃんが帰ってきたら。「ご飯ありがとう。美味しかった」と。
姉ちゃんは、ちょっと笑って言うだろう。
「いいのよ」って。

僕は姉ちゃんへの愛情のためにそう言うのだろうか。
姉ちゃんは僕への愛情のために家事をするのだろうか。
分からない。

僕と姉ちゃんの間にあるのは、本当に愛情なのだろうか。

込み上げる吐き気と一緒におにぎりを齧って飲み込む。
もちもちとしたご飯が押し寄せる。

お茶で一気に流し込む。
ご飯粒たちは、ざらざらと喉の奥を流れていく。

酸っぱい味だけが微かに舌に残った。
僕の好きなカツオ梅の、しょっぱい味が。

11/27/2024, 2:04:32 PM