哀愁とは。寂しくもの悲しい様、またはその感情。
改めて哀愁ってなんだ?って調べたら、大体そんな感じの結果が出てきた。どこの辞書サイトでもそう。
じゃあ哀愁を誘うってなんだろ。
自分自身の哀愁を引き出させるもの、、
誰かの哀愁を何かしらの行動によって誘発させる、、とか?
今回は前者の方が身近なので、その前提で書き記そう。
最近、少し人と話す時、寂しかったり、悲しかったりする。
『自分が本当の意味で心を許して接する人はどれだけいるんだろう』とか考えたり。
作り笑いが年々上手くなっては、最初は必要な時にニコってするだけだったものが、必要以上に無理して笑うことが多くなって、簡単に剥がせないものになってしまってきている。
1度作り笑いのスイッチが入るとなかなか抜けないし、それに危機感を覚えてスイッチではなく電源を無理やり切るようにすると、押さえ込んでたものが溢れそうになって、今度また必要になった時に、上手く笑えてない、、なんてことがある。
笑顔の裏で冷めたような感情を抱えてることは少なくない。
心を許した人はいても、その人がいつでも私の心を受け入れてくれるとは限らないし、その人が私に心を許しているのかも分からない。
そういう分からないことだらけな見えないものに思いを馳せては、不安になって、そんな中でも忙しなく日常は流れて、人と触れる機会はどうしたって訪れる。
誤魔化すように作り笑いを装備して、不安なんてなかったように取り繕って、完璧な自分を演じては、弱い自分に見て見ぬふり。
時々目をやって思い出しては、寂しさや悲しさを覚える。
私にとって哀愁を誘うものは、作り笑いなのかもしれないな。
『哀愁を誘う』
11/4/2024, 6:43:34 PM