匿名様

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ここに縛りつけられている。
簡素な額縁に頬杖をついて、熱心なその横顔を眺める。片手のパレットも、沈黙の間に時折キャンバス上を撫でる絵筆も、それらを持つ骨ばった手も、迷走の果てに作り出された複雑な色合いで汚れていた。

深く記憶を探るように眉間に皺を寄せ、自分の描いた彼女があの愛しい人と重ならない原因を探してはまた色を厚く重ねる。鮮明に残った写真でさえ、貴方は複製物だと悲しく笑ったのに。折り跡が付き、少し色褪せたそれを横目で見て、未完成ながら瓜二つな自分の姿に虚しさをおぼえた。
ああ、なんて笑える話だろう。私は神様には選ばれたかもしれないが、貴方には選んでもらえなかった。
意志なんて奇跡が付与されても、結局貴方にとっては失敗作だったのだ。今は離れた場所から眺めることしかできない、その狂気的なまでに真剣な表情は、以前は自分に向けられているものだった。
私があの人に近付く度に貴方は捨てられない思い出を語り、時には涙を滲ませた。そのどれもが私そのものに向けられたものでないとわかっていても、私を構成する絵具に込められた想いが他人事で済ませてはくれなかった。

ひどい人。私は本物にはなれなかった。所詮は人工的に色を練って生み出された塊。人の記憶は望まずともねじ曲がる。本物に、実在していた人間に成り代わることなんて到底無理なことだった。別人として名前を付けて貰うこともなく、もうその恋焦がれるような眼差しを正面から受けることも叶わず、それでも何処かへ行くこともできずに愚かな貴方を見続けている。

「いつまで続けるの、それ」
納得できない複製を生み出し続けても何の得もない。貴方がいつか本物と見紛う彼女を描き出すことなんてきっとない。消化できない過去を抱えて無為に時間を浪費している。八つ当たり気味に投げかけた言葉は、貴方の閉じこもった檻を壊すことなど出来なかった。
自分の目覚めた奇跡を無意味だと自嘲した。
なのに貴方の愛しい人を模して生まれてしまったからか、それとも生み出したのが貴方だからか。私が愛されることがなかったとしても、貴方を見放し、目を閉じることなど出来そうもないのだ。いつか向けられたあの瞳を忘れることなど出来そうもないのだ。
自覚してしまったこの感情は本当に単純でいやな呪いだと、シンナー混じりの重いため息をついた。


【君と出逢ってから、私は】

5/5/2023, 3:06:13 PM