明日にはいない人

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優しいねと言われるたびに 、どうして特別なことのように言われるのか分からなかった

子供の頃は自分の事なんて考えてなかった

大人に呆れられようが、馬鹿にされようがいつだって誰かのために行動してた

小学校の5年生のとき、初めての環境で一歩も動けず、助けも求められなかった一年生の子がいた

朝の掃除の時間、その子はいつもじっと立って何もしなかった

話しかけても一言も話さなかった

先生たちは諦めて放っておきなさいと言ったけれど、私はずっとその子のそばにいた

他の子たちは、その子に対して挨拶してから私に今日はどう?と聞いてくれた

その子を受け入れなかったのは大人だけだった

全校生徒が30人の小さな学校で、子どもたちは皆、理解し合うことを最初に学んでいた

次第にその子は学校に慣れ、私が卒業する頃には学校一のお喋りになっていた

互いを理解し合い、意図を読み、見守り、時に手を貸す

小さな学校では、当たり前に皆が知っていた

その学校を出たあと、私はそれが当たり前でないと知った

その小さな学校の卒業生は、私の知る限り半分が中学以降、不登校を経験している、もちろん私も含めて

私のひとつ上の先輩が言っていたことを思い出す

私も先輩も不登校になっていて、偶然街で顔を合わせた時のこと

二人でベンチに腰掛けてぼそぼそと静かに近況を話しあった

少しして、先輩は笑って言った

「〇〇ちゃんはいつも丁度いい距離をたもってくれるよね。近すぎず遠すぎず、本当に心地良い距離感」

私はそうですかね?と少しはにかみながら返した

「うん。すごく優しいよ。小学校の皆も優しかった。」

先輩はゆっくりとうつむいて目を伏せた

「小学校が良すぎたね」

私は何も言えなかった

優しさを知っているがゆえに、社会を生きていけない辛さは私も充分に知っていたから

何度人生をやり直すとしても、同じ学校を選ぶだろうと思うほどに良い学校と良い友人に恵まれた

けれど、それを経験してしまえば私達は卒業後にまともに生きていけなくなる

先輩と別れたあと、私はじっと考えた

優しさを知らなければ私達は今、普通に笑えていたのだろうか

きっと、笑えていただろう

人を無視して、馬鹿にして、のけ者にして、自分だけ笑っていたのだろう

その方が幸せなのだろうか

優しさなんてはじめから知らないほうが良かったんだろうか


8/10/2025, 5:01:56 PM