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「はぁ…」
空から降り注ぐ言葉の雨がようやく止んだ。

差し続けていた傘を閉じると、
言葉の雨を受けていた傘の全面に
びっしりと文字がへばりついている。
文字と文字が重なり過ぎて
最早文字として認識するのも
難しくなっている箇所もある。

「あぁ、まったく」

煩わしい。煩わしい。

苛立ちに任せて傘をバサバサと乱暴に振ってやる。
傘にへばりついていた文字が
風圧で歪な形となって空へと舞い、
音もなく溶けていく。

文字が消えていくさまは
香の煙のような儚さがあってなかなかの趣だ。

だが、こうして払ってしまった文字は
この世界では循環しないものとなってしまう。

空からの飛来物に荒れていた海も
今は元の静かな波へと戻っている。

飛来した一部は海へと取り込まれ
一部は跡形もなく海の藻屑となって消えていく。

さてさて、今回飛来したうちどれくらいが
言葉として残るだろうか。
この本体のことだ。
今日読んだ文字など大半は忘れてしまうだろう。

「はて、あれは何だったけ?」
「あれー、こういう時は何というのが正解だっけ?」
「これって、どこで読んだ内容だったっけ?」

そんな本体の言葉をよく聞いているのだ、私は。

まぁ、そんな詮無いことはどうでもいい。
忘却も人間にとって必要な能力なのだから。
本体が忘れたいのであれば
こちらはそれ以上関与しない。
もうヤケだ。
忘れてしまえ、忘れてしまえ。

思考の海の様子から見て
そのどうしようもない本体は
今や眠りの中といったところか。

となると、そろそろアレがやってくる。

アレも、まぁ、毎度のことながら御苦労な事だ。
ねぎらいの意味を込めて、
茶で持て成すとしよう。

砂浜の一角にある掘っ立て小屋へ足を進めようとすると、空間が揺らいだ。

今日は随分と早いお出ましだ。

「やぁ、いらっしゃい。記憶管理人もとい、夢制作人(ドリームメーカー)」

8/28/2023, 10:55:17 AM