誰かのためになるならば
「はいこれ。保険証ね。無くさないように気をつけて」
3度目の転職先は大手製造会社の子会社で、主に販売を行っている店の販売員だった
1度目は高卒で入社した事務職
いわゆる社会の荒波にまだ18だった私は耐えることが出来ず、半年で退職
その後1年かけて資格を取り医療の仕事に携わり約4年勤めたが、3年目の時に上司が代わり、馬が合わずやけくそになって退職した
今年26になる私は未だに恋人はおらず、友人と呼べる相手も思いつくことはない。
高校の同級生とはほとんど連絡を取っていないし、SNSも随分前に辞めてしまったので必然的に関わりがなくなっていった
その日も8時間の労働を経てワンルームの部屋に滑り込む
渡された保険証を眺めながら、タバコに火をつける
どの保険証にも変わることなく書かれている私の名前、生年月日
住所、そしてウラ面の臓器提供の意思表示
タバコはまだ半分ほどもなくなっていない。火が消えないよう灰皿におき、ペン立てからサインペンを取り出した
1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。
2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。
3.私は、臓器を提供しません。
躊躇うことなく1に丸をつけた。
タバコの火はまだ燃えている。
〈1又は2を選んだ方で、提供したくない臓器があれば✕をつけてください〉
【心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球】
一口だけ煙を深く吸い込み、既にフィルター近くまで燃えていた火種を灰皿へとこすり付けた。
肺のみにバツをつける。
喫煙者の肺など、誰も求めてはいないだろう。
生年月日を書き、署名欄に名前を書き並べた
私はおそらく社会のなんの役にもたっていない。
税金は納めているし、仕事もしている
コンビニで買い物したお釣りの100円以下はいつも募金箱に入れているし、この間は具合の悪そうにしている人に声をかけてスポーツドリンクを買って渡した
だが、私はたまにこの世が滅べばいいと思うし、嫌いな人には消えてしまえとも思う
生きることに難しさを覚えるし、価値を見出せない
そんな人間でも、もし誰かのためになるならば、
社会の役に、誰かの役に立てるならば、
それが例え自分の死後だとしても。
そんなことを考えて、保険証を財布にしまいこむ
今日はもう休んでしまおう。
明日もまた働かなければならない
まだ生きねばならないのだ
いつか役に立てるその時まで。
7/26/2024, 4:13:51 PM