NISHIMOTO

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※人間の目を間近で見るようなホラーというか少し不思議なよくわからない風味の話です。







虹彩認証のアルバイトを始めた。
急遽作ったんだろうなと見て取れるパーテーションで区切られた部屋の中。折りたためる机とパイプ椅子、それから小さいモニターと専用の機械が仕事場を無機質に飾っている。
僕はその中でパイプ椅子にじっと座って、モニターが映し出した廊下に人が現れて虹彩認証の開始ボタンを押すのを待つ。
大抵は始業後の朝、昼、夕方がピークだ。たまに忘れ物をしたように慌てた人がやってきて、僕は「おやまあ、落ち着いてくださいね」なんて思いながら目を合わせている。
そう、目を合わせている。
といっても専用の機械が向こうとこちらの映像を繋ぐらしいから遠隔──リモート見つめ合いだ。
開始ボタンが押されたら、モニターの向こうの人は虹彩認証を行う。システムは僕の専門ではないし詳しいことはわからないが、認証自体は問題なく行われるらしい。
じゃあなぜこのような見つめるアルバイトがあるのかというと、社内で変革やらなんやらで従業員の意見を取り入れた結果、らしい。ふんわりと直属の上司から聞いた。興味がないのであまり覚えていないが、機械的なものより暖かみのあるシステムが良いとかなんとか……。
試験的に導入して、目を合わせる役はとりあえずアルバイトで募集したという。社員の意見を取り入れる、なかなか面白い会社じゃないか。就職先に考えようかな。
そういえば虹彩認証と聞いて映画で見る緑のレーザーのようなラインが瞳を一往復で認証、というのを思い描いた人も多いだろうが、あれは演出で実際はそういうのじゃあない。いつも見ているからわかる。
それから、このアルバイトの特徴といえばもう一つ。
僕はパーテーションの向こうで書類仕事をしている上司の気配を探り、こちらを気にしていないように、と願って専用の機械を覗き込んだ。
必要外の使用をする悪い従業員である。みんなは目を合わせるアルバイトをするときはちゃんと人が来たときだけ覗き込むように。
モニターに人影はない。向こうにある認証機械周辺をしっかり映しているので、画面外で認証する人はいない。
だけれども、瞳が見えるんだよなァ。
初日に声もなく驚いた不思議な瞳が、じっと僕の瞳を見つめている。
当時慣れない中うっかり人もいないのに覗き込んで気づいて慌てて上司に報告したら、
「えっ?ちょっと失礼、代わって。……うーん、確かに見える。おかしいね。システム部に連絡しておくから、体調に気をつけて続けといて」
と命じられたので、
「ハァ、そんなものですか」
と頷いて業務を再開したのだ。
それが今も変わらないのでシステム部とやらもお手上げなのかもしれない。上司があれから経過を聞くこともないし、うっかり忘れられているような気もするけど。
しかしこの瞳、まばたきもしない。ずっとまんまるい黒目を見せつけている。
僕はすっと姿勢を正して目を離した。あれに付き合っていれば僕の方が乾いて仕方ない。
しかしあと数週間あの瞳と一緒にアルバイトをするのだと思うと、ちょっと楽しみになってきた。彼女と目を合わせたらなんだか胸が踊ってしまうような心地なのだ。

4/7/2023, 3:24:28 AM