‪スべてはキみのセい。

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【香水】

夜のネオンがひしめく街。

遠くから聞こえる不協和音のような雑踏の中に、一人の男がいた。彼は無機質な表情で、街路を歩いていた。濡れたアスファルトに映るネオンの光が、彼の足元でかすかに揺れる。
ビルの間を縫うように立ち込める湿った空気に、どこか馴染みのある香りが漂ってきた。オリエンタルな香りだ。それはスパイスの混じった甘い香りと、花のような香りが交じり合い、鼻腔をくすぐる。

香りを感じた瞬間、男の胸に微かな痛みが走った。
忘れ去ったはずの記憶が、薄闇の中から甦るようだった。だが、その記憶はぼんやりとしており、何も明確ではない。彼は足を止め、香りの源を探るように辺りを見回した。

その時、街灯の陰に女の姿を見つけた。彼女は、黒髪を長く垂らし、体を包むように和服をまとっていた。顔はぼんやりとしていて、表情は見えない。ただ、その場に立っているだけで、彼女の存在が街の喧騒から浮いているように感じられた。彼女が動くと、ふわりと香りが一層強まった。

男は、吸い寄せられるように彼女の元へと足を進めた。なぜか、彼女に近づくほど、胸の中にある喪失感が増していく。彼女は男に気づいていたのか、音もなくこちらを振り向いた。男の足が止まる。

「この香り…どこかで…」

男の問いかけに、彼女は何も答えなかった。彼女の目が彼を見つめている。まるで、男の内面を覗き込むように。その眼差しは、鋭くもなく、どこか儚い。彼女が一歩、男に近づいた。その瞬間、香りが一層濃くなり、男は思わず息を止めた。

気づけば、彼女はすぐ目の前に立っていた。彼女の瞳は、どこか哀しげでありながら、深い闇を宿しているようだった。彼女が静かに口を開いた。

「この香りが、あなたの記憶を呼び覚ましたのですね」

男は、彼女の言葉に応じることができなかった。頭の中が霞んでいる。彼女が再び一歩進むと、彼の視界は次第にぼやけ、世界が遠のいていく。

「…堕ちていく…」

その言葉が最後に男の耳に届いた時、彼はもう、意識を保つことができなかった。香りが彼の全てを包み込み、記憶の底に引きずり込んでいった。




翌朝、ネオンの輝きを失った街に、一人の男が倒れていた。目を開けた彼の鼻孔には、もうあの香りはなかった。しかし、その胸には、何か大切なものを失ったような感覚が残っていた。

彼は立ち上がり、何もなかったかのように街を歩き始めた。しかし、心の奥底では、あの香りと共に現れた女の影が、消えることなく残り続けていた。

8/30/2024, 10:23:44 PM