「後ろに敵船!全速力で撒くぞ!」
船長の一声で全員が一斉に動き出す。
大きくうねるカリブの荒波は、飛沫をあげて甲板に叩きつけられるが、海の荒くれどもは波で押し流されるほどヤワじゃない。
仲間が波に揉まれながらそれぞれの持ち場で踏みとどまっている中、船員の1人が声を上げた。
「真後ろだ!スペイン野郎どもに尻をつけられてる。
キャプテン、このままだと俺ら、沈められちまう!」
青い顔をして綱を握りしめている、その巨漢に似合わない小心者のリジーが船長へ叫んだのだ。
リジーの慄きは船員に伝播し、荒くれどもに不安の様相が浮かび始める。
「ああ、いくらこの船が速ぇからって…」
「スペインの船はモノがいい。このままだと追いつかれるぞ…」
一等航海士のマシソンさえも難しい顔をして、海図を睨んでいる。
「この向かい風じゃ、帆を張れない。キャプテン、いち早くここの海域を抜けないことにはあまりにも分が悪いぞ。」
僕も少し不安になり、横で操舵を取る船長を見た。
彼は静かに、考え込むように舵を握っている。
その時であった。
僕の伸びた髪を一束、後ろから吹いた風が攫っていった。
僕とほぼ歳の違わぬ若い船長の目が、ギラリと光る。
船員たちは静まり返り、リジーの震えた声が届いた。
「追い風だ…」
「追い風だ!」
「今なら逃げ切れるぞ!」
次々に船員から声が上がる。
墓場のように静まり返っていた先ほどとは打って変わって、船は熱気に包まれた。
船長がニヤリと不敵に笑い、僕を呼ぶ。
彼は潮風でベタつく僕の髪を耳にかけ、命令を下した。
「帆を張れ。」
僕はこの船の伝達員。
早急に皆に伝えろ、という合図だ。
やはり彼はこうでなくちゃ、と嬉しくなり、僕まで笑顔になり返事をした。
「イエス、サー。」
僕はデッキを駆け下り、小さな身体で声を張り上げながら走る。
「帆を張れ!追い風だ!」
荒くれたちが、僕の声で一斉に動き出す。
高いマットに登り、精一杯の声で僕は叫ぶ。
「追い風だ!帆を張れー!」
舵を切る船長と目が合う。
彼は海の荒くれの眼で、愉しそうに笑った。
1/7 追い風
1/8/2025, 7:58:04 AM