どこにも書けないこと
「私は好奇心旺盛な子供でした」
「頭に次々と謎が生まれ、それを解決する事を大きな楽しみとする子供でした」
「その好奇心の行き先は主に生き物でした」
「物心ついた時から、ずっと」
「蟻を水の中に入れたらどうなるか、とか」
「ナメクジを塩漬けにしたらどうなるか、とか」
「蝶の羽を全て毟ったらどうなるか、とか」
「蛹を破ったらどうなるか、とか」
「少し言い訳をするならば。当時の私はまだ文字が読めぬ年頃でしたので、本で確かめるという手段が取れませんでした」
「おまけに両親は大の虫嫌いでしたから、何となく悪いことの様な気がして、誰にも尋ねようとは思いませんでした」
「…いえ、文字が読めても実験をしていたかもしれません。自分自身で確かめた、という実感は本当に、本当に、他の何にも勝るものだったのです」
「実験だ!なんて、小賢しい言葉を使って」
「気の向くままに実験を繰り返していたある日、誰かから言われたのです」
「やめなさい、それは悪い事だ。と」
「その頃には、もうとっくに文字も読める様になっていました」
「親か、友達か、はたまた先生からか。今となってはあやふやで、怒られたというショックだけが残っておりますが」
「私は初めて、実験が悪い事だと知りました」
「自分が何ら悪いと思っていなかった事で叱られましたので、私はとても不安になりました」
「私はとても大人しい子供で、褒められる事こそありましたが、叱られる事など滅多にありませんでした」
「叱られる事に慣れていなかったのです」
「やめよう。と、強く思いました」
「我慢しよう。と、強く思いました」
「その結果。我慢、できちゃったんです。できてしまったのです」
「それは私にとってとても不幸なことでした」
「私はその好奇心が誤りであると知っているのです」
「消さねばならないと知っているのです」
「しかしながら消えてくれないのです」
「自分の疑問を自分で確かめ実感として知識を得る事の快感が」
「頭の中に残ったそれの残滓が消えないのです」
「今もなお、ずっと」
「大人になったら消えるだろうと若い頃は信じていました。そうですね、高校生までは信じていました」
「大人になったら私のこの好奇心も鳴りを潜めて、周りと同じ様に真っ当に生き物を愛せるのだろう」
「それがきっと大人になるという事なのだ。と」
「結果としては、消えるどころか強くなって、ますます私は己の自制心を鍛えるハメになっていますが」
「最近、考えるのです」
「もし、昔と同じ様に実験ができたら。と」
「ニュースで捕まる人を見て思うのです」
「良いなぁ。なんて」
「誰しも特別に憧れるものです」
「特別に憧れ胸を焦がし地から見上げるその姿こそが、平凡な人間であるという証拠なのに」
「そしてそれは私も例外ではなく」
「とはいえ、子供の時分とは違い、私も色々なこの世のしがらみやら縛られておりますので」
「実行する勇気が全てを失う恐怖心を上回る事はありませんが」
「そんな中途半端でどっちつかずな、逃げることばかり上手くなった自分が、何だかとても嫌になってしまって」
「とても醜悪なものに思えて」
「鬱屈とした気分になってしまったのです」
「誰かに相談しようにも、こんな事誰にも言えませんから」
「もし言ったら、きっと遅い厨二病だと笑われてしまうでしょうから」
「それだけは絶対に嫌でしたから」
「だから、この手紙を書きました」
「誰に宛てたものでもありません」
「燃えて消えてしまうなら良いだろうと」
「この行事の趣旨と少しズレた内容を書いた事を深くお詫び申し上げます」
「最後に」
「私は、私の狂気が、私を苛む好奇心が」
「この世の何より美しいエメラルド色である事を、切に願っているのです」
「いつか平凡で醜い私を食い破って、その残酷なエメラルド色で羽ばたく事を」
「心の隅で願っているのです」
《キャスト》
・語り手
一般企業に勤めるサラリーマン。虫が好き。少しスッキリしたらしい。
《補足》
・『この行事』
後悔を手紙にして燃やしてスッキリしましょう!という行事。実際にあるかは分かりませんが、作中のものは架空です。
2/7/2024, 2:22:35 PM