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あまりにも酷く傷ついてしまったときや、自分にとって辛い出来事が連続して起きると、「辛い」「悔しい」「悲しい」といったネガティブな気持ちが急に感じられなくなって、「何もかもどうでもいいや」「人生なんてもうどうでもいいや」という気持ちになった経験はありませんか?
あるいは、今そのような気持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

そのときの私はそんな状態でした。
昨日までの世界は恐ろしいもので溢れていて…上手く表現できませんが、刃物で囲まれた部屋の中で本当に存在するのかも分からない小さな小さな部屋の鍵を探しているような…そんな感じでした。
でも、ある日、刃物に触れても何も感じなくなりました。同時に、その部屋のドアも窓も消えてしまって、触っても何も感じない刃物と一緒に部屋に閉じ込められてしまった感じでしょうか。辛さも悲しさも、嬉しさや楽しさも、何も感じなくなってしまったんです。
「もうどうでもいいや」という気持ちだけが唯一残っていました。
今考えれば、この時点で休養するなり心療内科を受診するなりすればよかったんでしょうね。

そんなときでした。「なっちゃん」と再会したのは。
「なっちゃん」は私がずっと幼かった頃の友達です。と言っても、彼女は実在しません。いわゆる「イマジナリーフレンド」です。
内気で人見知りだった私は、いつしか「なっちゃん」という空想上の友人と親しくなっていました。
なっちゃんは活発でよく笑い、よく泣き、よく怒る、感情表現の大きな子でした。自分の憧れが投影されていたのかもしれませんね。
ご存じの通り、イマジナリーフレンドはある程度の年齢になると、見えなくなってしまいます。もちろん、私もそうでした。
でも、なにもかもがどうでもよくなってしまった大人の私には、一目でなっちゃんだと分かりました。

「久しぶり!元気にしてた?」と屈託なく笑うなっちゃん。本当にそこにいるような、現実感がありました。
そのせいもあったでしょうが、私は本当に久しぶりになっちゃんに会えたことが嬉しかったんです。
色のなくなってしまった世界で、なっちゃんは目印のように咲いた大輪のヒマワリのような存在でした。
私はなっちゃんといろんな話をしました。なっちゃんが見えなくなってからの時間を追うように。
なっちゃんは例によって、うんうんと大きなリアクションをしながら私の話を聞いてくれました。

そして、話が現在の状態まで追い付いたとき、なっちゃんは大粒の涙を流していました。
「なっちゃん、どうして泣いてるの?」
「だって、Sちゃん(私の名前です)が泣かないから、代わりに涙が出てきちゃうんだよ。辛くて苦しくて、それなのに泣くことも忘れちゃったの?涙が止まらないよ」
「なっちゃんが泣くことないじゃない。私はなんとも思ってないんだからさ」
「…Sちゃんの『助けて』って声が聞こえたから来たんだよ。そっか、泣き方が分かんなくなって困ってたんだね」
そう言って、なっちゃんは色んな手を使って私を泣かせようとしてきました。
とても怖かった怪談話、通学路の家で飼われていた大型犬の話、なっちゃんの(つまり子供の頃の私の)大嫌いだった玉ねぎがたくさん入ったカレーの話…どれもこれも当時はなっちゃんと一緒に震え上がったものですが、「昔の私はそんなものが怖かったのか」と却って面白くなってしまいました。気づいたら、私は笑っていました。

「なっちゃん、それはそんな怖いものじゃないよ」
「Sちゃんは大人だから怖くないの?」
「そうだよ。大人になると、怖いものも変わっちゃうんだよ」
「じゃあ、大人になったSちゃんは怖いものがなくなって、泣き方を忘れちゃったの?でも、泣けないことが辛いの?」

むずかしいむずかしいと呟きながら、一生懸命に考えるなっちゃん。
その姿を診ていた私は、何故か涙を流していました。

「あ、やっと泣いた。でも、Sちゃんは何が怖かったの?」
「なっちゃんの言う通り、泣き方が分からなくなっちゃったのが怖かったんだよ」
「そんなの、怖かったり痛かったりしたら勝手に涙が出てくるよ。大人はそうじゃないの?」
「そうだね。大人は涙を流せないときがあるんだよ。でも、ずっと泣くのを我慢してると泣き方が分からなくなっちゃうんだよ」
「…大人ってむずかしいんだねぇ」
なっちゃんはやけに大人びた表情で考えていました。

「ありがとう、なっちゃん。おかげで泣き方、ちゃんと思い出せたよ」
そういうとなっちゃんはまたヒマワリのような笑顔を見せてくれました。

そこで、私は目を覚ましました。真っ白な天井が目に入ってきました。
そこは自宅ではなく、病院でした。睡眠薬のオーバードーズで搬送されたと医師から聞きました。
(あんまり関係ないですが、睡眠薬を体外へ出すための胃洗浄がとても苦しかったです)

私は今、会社を休職し療養に専念しています。
あれからなっちゃんを見かけることはありません。でも、彼女は今も私の友達で私を見守っていてくれる。
少しずつ色を取り戻しつつある世界で、そのことが私の依る辺になっています。

10/26/2023, 10:27:24 AM