夏。
それは人を解放的にさせる。
人は海に走り、ひと時のロマンスを繰り広げる……
地獄もまた例外では無い。
鬼たちも開放的になり、海へと走り、ロマンスを繰り広げる――事は無かったが、とにかく夏を謳歌していた。
目の前の鬼たちは、普段の様子から想像できないくらいはしゃぎ回り、涼を求め海へと飛びこむ。
そこにいたのは恐ろしい鬼ではなく、夏の熱さに浮かされた子供であった。
だが、無理もない事なのかもしれない……
かつて、地獄ではこういった娯楽は皆無であった。
地獄では、ただただ労働だけがあった。
鬼たちも、そのことに不満を持つことは無く、粛々と業務をこなしていた。
だがある時、地獄は変わった。
俺が変えたのだ。
鬼たちのブラック業務すら霞む、ブラックホール業務に、俺が待ったをかけた。
無報酬労働……
この世界で、唾棄すべき『悪』である。
そして俺は『悪』が心底大嫌いなのだ。
俺は生前詐欺師をやって、その因果で地獄に落ちることになった。
もちろん詐欺は『悪』だが、相手はもっぱら悪徳商人を狙った。
『悪』は嫌いだが、それを行うやつらも大嫌いだったからだ。
死んだあと、この善行に対して情状酌量は無かった。
だが特に不満は無い。
俺は悪人が嫌いだったから、悪人相手に詐欺を働いただけ……
自分勝手にやっただけで、別に褒めてもらうためではない。
だから他者から評価されなくても別にいいのだ。
それでも、と思う。
やっぱり喜んでもらえると嬉しい。
俺が詐欺を働いたことで、喜んだ人間がいたのは確か。
感謝の言葉も一度や二度ではない。
そして今は、地獄の鬼たちが、俺の行いに喜んでいる。
苦労して、閻魔大王を説得した甲斐があった。
閻魔には嘘が通じない。
嘘をつこうものなら、たちまち舌を抜かれてしまう。
だから根気強く、正直に説得するしかなかった。
休みがあれば、仕事が捗るのだと……
そうして俺は、なんとか閻魔から、短い夏休みをもぎ取ったのだ。
満足できる結果ではないが、時間が解決してくれるだろう。
仕事の進捗という、なによりも正直な事実が
しかし、この地獄にはまあ多くの『悪』があるように思えた。
地獄に落ちてまだ短い時間ではあるが、滅ぼすべき悪があるように思えた。
幸い閻魔から高い評価を受け、鬼たちを指揮する権限を譲り受けている。
これを使って目につく『悪』を滅ぼしているのだが、全く無くなる様子は無い
多分、閻魔も『悪』を滅ぼすために、権限を与えたわけではあるまい。
だが、今のところ口を出すことは無く、少なくとも『悪』を滅ぼすことには異存がないようだ。
もしかしたら、こうなることが分かってやらせたのかもしれない。
俺には閻魔の考えていることは分かない。
だが『悪』を滅ぼしていいと言うのは分かっている。
俺は、それさえ分かっていればいい。
その事実に、思わず顔がにやけてしまう
俺は夏が嫌いだった。
特に恋愛事に熱心なわけでもなく、海が好きなわけでもない。
夏はただ熱いだけの季節だった。
それに詐欺のしやすい季節でもない。
だけど今の俺は、そんなに夏が嫌じゃない。
なにせ、これからも大嫌いな『悪』を、どんん滅ぼしていいのだ。
夏とは関係ないが、それでも、心が躍るのは確かだ。
こんなに気持ちが高揚するのは、生きている間もなかった。
この夏は、きっと特別な夏になる。
俺の心が、そんな予感を告げていた。
6/29/2024, 4:01:21 PM