郡司

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忘れたくても忘れられない、そんな記憶はいくつもある。

私は印象強い記憶は捨てられない性質のようだ。
「忘れたくても」であるなら、その記憶は自分の中にネガティブな感情反応を呼び起こすもの、ということになる。当然だが不快で苦しいものになる。

五歳の時に出会った恐怖。越えて楽になりたくて、ひたすら強さを目指した。結果、「対抗しうるかもしれない強さ」を獲得したけれど、恐怖感は消えなかった。恐れるものは来たる。怖いがゆえに、怖いものをいつも絶えず気にしているので、意識の焦点が「怖いもの」にジャストミートし続けてしまうからだ。

「自分が“怖い”と感じているもの」が、どんな要素で成り立っているのか、何故そう感じるのか、実際的な本質は何なのかが、明らかな理解になって腑に落ちたとき、私の恐怖は消えた。そして、恐れなくなったので、私の現実にその恐怖の事象は立ち現れなくなった。

記憶は相変わらず、忘却に沈むわけでもなく私の中にある。
しかし現在のそれは、「不快な苦しみの元」ではなくなり、「歩みの途中のモニュメント」として静かに残っているだけだ。

すべてがそのようになったわけじゃない。まだ「未完了」のものもある。ひとつずつ、根気よく、最良の完了へ向かって進んで行くのみだ。

忘れたいと忌避するわけでもなく、忘れられないと苦しむものでもなく、確かにせいいっぱい生きてきたと思い出して前を見るモニュメントにするために。

10/17/2023, 3:52:33 PM