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「メアリー、ほら捕まえてみろ」
「走ると危ないですよ、クリス坊ちゃん」

 私の名前はメアリー。
 クリス坊ちゃんの屋敷に仕えるのメイドです。
 今日も坊ちゃんは、私たち二人以外いない庭で走りまわります。
 坊ちゃんは私の事をいたく気に入っているようで、遊び相手にいつも私を指名します。
 私の事を姉と思っているのでしょうか?
 とても光栄なことなのですが、遊び盛りの坊ちゃんの相手は大変です。
 今日も私は汗を拭きながら、坊ちゃんの後を追います。

 それにても、こんな暑い日差しの下だというのに、坊ちゃんの元気は衰えることを知りません。
 この年頃の子供は、どこにそんなエネルギーをもっているのでしょうか?
 衣替えをしたからでしょうか。
 前から『動きにくい』と言ってましたから、半袖になったのが嬉しいのかもしれません。
 坊ちゃんが嬉しいと、私も嬉しくなります。

 なので一緒に喜びたいのですが、
 ですが、最近私に悩みが出来てしまいました。

 どうも私、最近坊ちゃんの事が好きになってしまったようなのです。
 もちろん異性として。
 身分の違う、年下の男の子に、です。
 こんなこと誰にも相談なんてできません。
 もし主人にばれようものなら、きっと屋敷から追い出されてしまうでしょう。
 私はずっとこの秘密を抱えて生きるのでしょう。

 ですが、いつまで内緒に出来るでしょうか……
 今だって、坊ちゃんの半袖から延びる白い腕が、とても妖艶に見えて仕方がありません。
 そして、あの腕にかぶりつきたい衝動に駆られます。
 煩悩を祓うべく頭を振るも、その欲求かが消えません。
 私、これからどうすれば――

「メアリー?
 どうかした?」
 呼びかけられて、ハッとします。
 どうやら考え事に夢中になりすぎたようです。
 すぐそばには、心配そうに私を覗き込む坊ちゃんの顔がありました。
 坊ちゃんに心配をかけないよう、にこりと笑いかけます。

「大丈夫です。
 ご心配をおかけしました」
「本当に?
 悩みあるの?
 もしかして他の使用人に苛められた?」
 坊ちゃんは真剣な表情で私を見つめてきます。
 まっすぐな瞳に見つめて、私の心臓はドキリと高鳴り、頭もカーっと熱くなります。
 まっすぐ立っているのも辛いですが、坊ちゃんに悟られないよう笑顔を保ちます。

「誰?
 僕のメアリーをいじめたのは誰なの?」
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。
 いじめられていませんから
 ただ、その、疲れただけです」
「本当に?」
「はい」

 私はなんとか誤魔化そうと試みます。
 さすがに「坊ちゃんに見とれてました」なんて言えません。
 あえて言うことで仲を深めるというテクニックがある、と友人から聞いたことがありますが、私にそんな度胸はありません。

「分かった……
 でもいじめられたらすぐ言うんだよ」
「はい」
 坊ちゃんはまだ不審げに私を見ていますが、これ以上追求しないようです。
 助かりましたが、無用な心配をさせてしまったようで少し心苦しいですね……

「あのさ、メアリー。
 それとは別件で聞きたいことがあるんだけど……」
「はい、何でしょうか?」
「服変えないの?」
「変えないの、とは?」
「メアリーだけじゃないんだけどさ……
 使用人の服って、長袖だし、生地も厚そうだし、蒸れて暑くならないのかなって」
「確かに暑いのですが、着替えられません。
 これは奥様の意向です」
「お母さまの?」
「はい」
 私は一瞬理由を言うことを迷いましたが、話すことにしました。

「使用人たるもの、肌の露出をして異性を誘惑するのはいかがなものか、という事です」
「……ああ、お父様は女癖悪いもんな」
「コメントは差し控えます」
 さすがに旦那様を悪く言うのは憚られたのでぼかしましたが、坊ちゃんにはそれで伝わったようです。

「うーん。
 でもさ、やっぱり見てて辛そうなんだよね。
 よし、僕がお母さまを説得するよ」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「いいんだ。
 僕がしたいからするんだ。
 それとも、嫌?」
 上目使いで聞いてくるクリス坊ちゃん。
 その目線はずるいです。

「分かりましたが、程ほどに……
 奥様も辛いのです」
「大丈夫、考えがあるんだ」

 ◆

 数日後。

「ほらメアリー、新しい服だ」
「本当に説得をされたのですか……」
 坊ちゃんの行動力に驚かされます。
 私は無理だと思っていたのですが、まさか奥様を説得されるとは……

「お母さまに、きちんと懸念事項を伝えたのだ。
 今の時期、あの服では使用人が倒れてしまう。
 使用人が倒れてしまっては元も子もないとな
 お母さまは言えば分かってもらえる方なのだ」
「なるほど」
 確かに言い分は正しい。
 でも、それだけで説得できるのでしょうか?
 問題の根幹は旦那様ですからね……

「お父様のほうは、全部男の使用人が世話することで解決した。
 お父様の方からも近づかないようにと、お母さまが厳命されている」
「な、なるほど……」
 私が言いにくそうにするのを察したのか、坊ちゃんは聞く前に教えてくれます。
 話が早すぎるクリス坊ちゃんに感心しつつ、旦那様から迫られる可能性がなくなったことにも安堵します。
 あの人の、なめるような視線が苦手なんですよね。

 改めて頂いたメイド服を眺めます。
 メイド服は前の物よりも全体的に薄くなっており、とても涼し気に感じられました。
 これを着れば、たとえ暑い日でも楽に仕事が出来そうです。
 一通り眺めた後、坊ちゃんに視線を戻すと、ワクワクしたような顔で私を見ていました。

「あの、坊ちゃま?」
「じゃあ、着替えてくれ」
「ここで、ですか?」
「そうだ。
 もしかして部屋に戻る気か。
 ダメだ、俺と遊ぶ時間が少なくなるだろ」
「……でしたら、後ろを向いていただけますか?」
「うん? 何の意味があるんだ?」
「向いてください」
「なんで?」
「いいから!」
「お、おう」

 何が何だか分からないまま、不承不承後ろを向くクリス坊ちゃん。
 女性の体に興味があるのかとも思いましたが、どうやら違うようです。
 時折大人な表情を見せる坊ちゃまですが、まだまだ子供のようです。

 私は、坊ちゃんが後ろを向いたことを確認して、新しいメイド服に着替えます。
 実際に着てみると、生地が薄いためか、体が軽くなった気がし、ゆとりをもって作られたのか、動きやすくもなってました。
 袖も半袖となっており、坊ちゃんの気持ちが少し分かりました。
 気のせいか、あれほど重たかった頭も少し楽になった気がします。

「着ました」
 私の言葉で、坊ちゃんは私に向き直ります。
「うん、これで動きやすくなったな。
 じゃあ、遊びに行くぞ」
 新しい服をきた私に何か一言無いのか?
 そう思いつつも、私は坊ちゃまの後ろをついていきます。

 そういえば坊ちゃんを見ても、前ほどドキドキしなくなりました。
 坊ちゃんの白い腕を見ても、もうなんとも――いえ、まだ少しエロく見えますが、前ほどではありません。
 ひょっとして、暑さにやれてていたのでしょうか?
 なんにせよ、これで不意の衝動で坊ちゃんを襲わなくて済みます。
 いろんな意味で助かりました。

「メアリー、どうした?
 まだ調子悪いのか?」
 坊ちゃんが心配そうな声をかけてきます。
 前回はさらに心配されましたが、今日は心配させません。
 私は、坊ちゃんに不敵に笑い返します。
「ご安心ください。
 今の私は万全なので、全力を出せますよ」
「そうこなくっちゃ」
 走り出した坊ちゃんを追いかけます。

 坊ちゃんと遊ぶ間、私は決意します。
 私はこの子の姉でいよう、と。
 そうすれば、私の恋心はいつか消えるはず。

 その思いを胸に、私は弟と遊びに興じるのでした。

5/29/2024, 1:44:49 PM