何も無くなった、いつかは街だった焼け野原。人類が引き起こした史上最悪で最凶の厄災が滅ぼしたその場所で、今はもう見られない、海の青と砂浜の金を宿した男が一人佇んでいた。
元は港町だったそこは、今はもう見る影もない。あるのは獄炎で焼かれて涸れた海と、澱んだ鈍色の空、赤黒い染みが取れない地面。人類が作り出した地獄に立つ男は、天使にも似た光を放つようだった。
「……なぁ、まだか。もうずっと待っているんだ。」
虫の一匹さえ見当たらない中、男の低く掠れた声がぽつりと零れる。その視線はどこか虚ろで、目の前にある岩の塊だけを見つめている。
「……こんなのお前じゃない……」
かつては苦楽を共にして、温もりを分かち合った戦友。だった岩の塊、もとい墓標に縋るように崩れ落ちる。海と同じ青色の瞳は、海と同じように涙も涸らしてしまった。
ふと、男の無骨な軍用コートを捲り上げるような突風が吹き抜ける。その風は空の分厚い煙の雲を裂き、鮮やかな空の色を描き出す。
「……あ……」
男の脳裏を、いつかどこかで見た彼の目が見つめている。自分のと対を成すような、鮮烈で燃え上がる緋色。そこに少しだけ混じった、高貴で冷静な菫色。戦友の瞳が、確かにそこにはあった。
「……おか、えり……」
泣くことを思い出した涙腺が、涸れた大地に小さな海を作っていく。自分が海ならば、彼はそれを包み込み見守るような空だった。落ちていく日をその目に宿した、温かく優しい彼。あれだけ耳に入れたのに、いつの間にか色褪せてしまっていた声が蘇る。
『泣きすぎだ、バカ。』
焼け野原になった街には、確実に人の気配は無い。けれど、確実に、背後から彼の声がした。
男は振り向くことができなかった。振り向けば、自分の見ている都合の良い幻覚が消えてしまうと分かっていたから。
都合の良い幻覚でもいいから、冷たい石塊でないお前に縋っていたい。
男がそう望んでしまった瞬間、また風が吹き抜ける。それは男の魂さえ喰らい尽くすほど強く、しかし温かかった。
風が吹き去った焼け野原。そこには、墓標を抱いて眠る男の体と、雲の晴れた夕暮れ空だけが静寂の間に生きていた。
テーマ:吹き抜ける風
11/20/2025, 7:48:54 AM