568

Open App

 なにか私の手元に大事な物があったでしょうか。
子供の思うようなキラキラとした宝物は持っていた記憶がありません。
強いていえばこの体でしょう、大切というより無くなって困るものですがこの目が見えなくなるか、あるいは手が動かなくなって、視界にうつる自分の体が醜く赤く爛れでもしたら柵の上の背中を押される理由には十分です。
 また母の話ばかりになってしまうのですが、私自身が母にとっての大切なものである自覚はあります。
最近やっと身に染みています。
何度が母の弱音を見て聞いたことがありますが、それでも片手ほどで、生まれてこの方ずっと傍にいて私が受ける理不尽までも背負ってなお毎日あれほど力強く笑うアグレッシブさはとても血が繋がっているとは思えません。
父方の弱い血ばかり真似てしまっているような気がします、父の血は要らないので母のような人になりたいです。
私の1年分くらいのエネルギーを毎日フル回転させる母に追いつけるとは到底思えませんが。
情緒1年生の私にはまだ大切な人という感覚がきちんと理解出来ていません、まだその言葉がしっくりとは来ないんです。
でも母の愛のおかげで私はまだ生きています、のんびりゆっくりとでしかありませんが確かに階段を登っています。
こうしてずっと緩慢なままで居られない事は理解していますが駆け上がるような真似はもう出来ません。何度も背伸びをして転ばなかった記憶は1度もありません。もう背伸びをすることが怖いんです。
このままでは決して同世代の子のように立派な人にはなれないでしょうが、直ぐにでも落ちて親不孝をするよりはまだこの方がマシだと。
自分が居なくなれば親も喜ぶという考えを最近やっと半分否定できるようになりました。
このままでいたいんです。少なくとも消えたいとは思いません。
自分が遅れていることは理解していますが、最良でなくとも私は生きていたいです。

4/2/2024, 10:30:22 AM