織川ゑトウ

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『泡沫焦燥後に儚く(うたかたしょうそうのちにはかなく)』

砂浜を走り回るあの日の君。
太陽に透き通る肌が鮮明なその笑顔を引き立てている。
向日葵を持って走る君は、今にも転びそうだ。
僕が手を繋いだら「一人でも大丈夫だもん」ってぷんすこしちゃったなぁ。
その瞬間に一枚散った向日葵の花弁が君の鼻に付いて、
思わず声をあげて笑ったら、向日葵を盾にして30分ぐらい顔を見せてくれなかった。
僕がお手上げだよと言って、向日葵から顔を覗かせた君は完全に僕を弄んでたよね笑

でも、その笑顔でさえも尊かった。

ざざーんと朝日に巣食う静かな波は、あの日の君を思わせる。

いつも通りのその日、僕は君を置いてあの砂浜に行った。
本当だったら君を連れていくはずだった。
でも、信じられなかったんだ。

君が死んでしまうなんて。

朝、起きたら横にいるはずの君がいなかった。
慌てて家中を探してみたらリビングの机にこんなものが。

「どうやら私はもうすぐ亡くなるみたいです。でも、心配しないでください。もし、心配してくれるのならここへ。○○病院 電話番号×××××」

急いでその病院に電話を繋いで、君の声を確かめた。
とても、弱々しい声だった。いつもの君とは思えない。
まるで、幼子が風邪をひいた時のような。

それから僕は病院に行って、お医者さんに問い詰めた。

「あの子が死ぬってどういうことなんですか!!何か、何かして助けれないんですか!!」
「お、落ち着いて下さい……ま、まだ死ぬと決まったわけでは、」
「じゃあなんで、なんであの子は僕を覚えていないんですか!!!」

大切な人を覚えていない。これはこの場合ただの記憶喪失などではない。

「''死ぬ前兆''じゃないですか!!」

何をいってもおどおどした様子で話をはぐらかす医者を押し退け、君の病室に行った。

「由美!!!」
「……だれ、で、すか」
「僕だよ!!啓汰だよ!!」
「…け、いた…だれ?」

病室は間違っていない。
病室の扉の隣には彼女の名前「東山由美」とちゃんと印されていた。

「な、なんで覚えていないんだよ……なんで、なんで……」

僕は涙が溢れた。君は狼狽えて、でもその目からは生を感じれなかった。

「あ、ぁの、貴方はいったい……」
「っ!!」

僕はヤケになって、君の病室を飛び出した。
君が僕を忘れてしまう、君の肌にもう触れれないという現実は、僕には些か辛すぎた。

そして走り出してこのビーチに。
サンダルでも裸足でもなく最新のスニーカーで砂浜を走ったもんだから何度もよろけた。
ただ、走って走って君から遠ざかる度に、君の後ろ姿が蘇る。
白いワンピースで、麦わら帽子を被る君の透き通った後ろ姿が。
またその度に心がきゅっとして、僕のガソリン切れの足にエンジンをかけた。

「「ねぇ、啓汰」」

疲れて疲れて、そろそろ倒れそうだった体が一瞬にしてふわっと軽くなった。

君の声だった。

もしかして元気になって僕を迎えに来てくれたのかもしれない。
そんな淡い希望は泡沫に、僕の携帯がピリリと鳴いた。
嗚呼、いったいこれは死を伝える伝書鳩だろうか。
震える手で、僕は携帯の通知画面を見た。

そこには、思いもよらぬ知らせが。

「啓汰へ。貴方が生きている未来への動画です」

なんのことだと通知をタップしてみれば、一つの動画が始まった。

「啓汰へ。貴方が生きていることを願います…って、なんだか私が生きているのに変な感じだね笑でも、きっとこの動画を見てくれないと啓汰は死んでしまうから」

そんな君のメッセージから始まった一つの動画。
僕は呆気にとられた。この砂浜、いつものワンピースで笑っている君と僕。
僕が海水をぴゅってかけて怒る君。仕返しにって言って海水をじゃぱーんとかける君。
転ぶ君。助ける僕。泣いてる君。慰める僕。困惑する君。微笑む僕。

笑う君。笑う僕。

君との砂浜での思い出が全てつまっていた。泣く余裕もない程ぎゅうぎゅうに。

「えーっと、こんなものでいいのかな。動画とか作ったことないから分かんないや笑自分は文章とか書くの苦手だからこういう風な動画にしてみたよ。びっかりしたかな」

びっくりどころの話じゃない。もうハニワみたいな顔してしまったよ。

「じゃあ、最後に。これが私の遺書代わりかな」

''遺書''という言葉に思わず反応してしまい、体がビクッと跳ねる。

ドキンドキン

「私と出会った日のこと、啓汰は覚えているかな」
忘れるはずがない、このビーチの端で出会った。
「私が寝ていたら横に知らない人が居てびっくりしたよ」
だって、熱中症かと思ったから。
「女慣れしなさすぎて、最初は全然話せなかったよね」
それはごめんと思ってる。
「でも、どんどん慣れてきて一気に距離が近づいた時はドキッとしちゃったな」
初恋だったんだ。距離詰めすぎて逆効果かと後悔したよ。
「告白したのは私からだったけどね。言葉選び下手すぎ~」
国語は昔から苦手なんだって。
「でも、その後の「僕が一生幸せにします」には愛が詰まってたな~」
咄嗟にでた言葉だったんだ。きっと顔真っ赤だったよね。
「やっぱり、大好きだよ」
僕も、当たり前のように大好きだ。
「でも、ごめんね。私は一緒にいられないみたい」
いかないで。
「だから、最後この言葉を貴方に」

「また、会いに来るから、絶対ずっと待っててね」

_もちろん。約束はちゃんと守るよ。

その後、僕はその砂浜に朝日が完全に昇る時まで居続けた。
朝日が完全に昇ったら、君の名前を一度呼んで、返って来ないことを確認し家に帰った

そして、その日からもう十年の月日がたった。
あの後、僕は毎日この朝方のビーチに来ている。
君との思い出が残り続けるこの砂浜に、波の音しか聞こえぬこの海に。
嗚呼、いつまで待てば君がくるのだろう。
いや、何年でも何十年でも、何百年でも待ち続けよう。

君がまた蘇る砂浜にて。


お題『夜明け前』
※鮮明(せんめい)=あざやかではっきりしているさま。美しく分明なさま。
※弄ぶ(もてあそぶ)=相手を軽くみたり、思いのままに操ること。
※巣食う(すくう)=悪いものが溜まったり、住んでいる様子。
※狼狽える(うろたえる)=不意を打たれ、驚いたり慌てたりするさま。
※些か(いささか)=少し。わずか。尚、些かの後ろに「~ない」等の打ち消しがある場合は、「少しも」「まったく」という意味になる。本文では大分という意味で使われる。
※泡沫(うたかた・ほうまつ)=泡。儚いもの。本文では波の泡として使われる。
※呆気(あっけ)=思いがけないことに出会って驚き呆れる状態。ぼんやりしている状態。
※咄嗟(とっさ)=急に。ごくわずかな時間。








9/13/2023, 2:03:24 PM