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別れる男には花言葉を一つ教えなさい。
季節が巡るごとに、その花を見るごとに、あなたを思い出すから。

そんな、ある種呪いをかけるような教えを耳にしたのは、何年前だったか。
少なくとも、まだ私の隣にあの人がいた頃だった。


私と彼は、二人揃って花にも花言葉にも詳しくなかった。
でも、綺麗なものは特別好きだった。
だから、あの日も二人で相談して紫陽花が綺麗な所に日帰り旅行として出掛けていた。
梅雨の時期だったのに、珍しく青空が広がっていた日だった。ああ、思い出した。せっかくだからと、お気に入りの浴衣を着て行ったっけ。紫陽花と、蛇目傘が描かれた素敵な浴衣だった。彼も、とても喜んでくれていた。

辿り着いた場所にはよく見る品種だけではなくて、見たこともないようなカラフルな品種や、とても紫陽花とは思えない形をした品種のものもあった。
目に映るもの全てが色鮮やかで、可憐に咲き誇っていた。色とりどりですごく綺麗だね、そう彼に言葉をかけたら、
「紫陽花の色は、土のphに左右されるんだよ。」
だから、上手にやればグラデーションにもできるかもね。そういって、実に科学に基づいた知識を教えてくれた。ロマンの欠片もないな、なんて笑っていたけれども、自身の得意な分野で楽しんでいる姿がとても輝いていたのを今でも覚えている。

そして、その日の帰り道。
それが、彼と向き合う最後の時間だった。

「大事な、話があるんだ。」
彼が言うには、やりたいことのために海外留学に行けることになったということ。卒業までに数年はかかるということ。帰ってくるかどうかは決めていないということ。自分のことを待っていてとは言えないということ。

嫌だと言いたかった。待ってるとも、追いかけに行くとも言いたかった。それでも、全てを決めた彼の瞳を見れば言うことができなかった。私には、笑顔で送り出すことしか出来なかった。
「……体に気をつけて。やりたいこと、大変なことが山積みだと思うけど。目一杯、楽しんできてね。」
そう伝えた時の泣きそうな笑顔が、とても印象的だった。


あれから紫陽花の名所には行っていない。
紫陽花と蛇目傘の浴衣も、もう着ていない。
それでも毎年巡ってくる梅雨の時期に、町中で咲き誇る紫陽花たち。歩くたびに目については記憶の中の彼が甦る。




別れる男には花言葉を一つ教えなさい。
季節が巡るごとに、その花を見るごとに、あなたを思い出すから。


私たちは二人揃って花にも花言葉にも詳しくなかった。
代わりに、知識は豊富だった。
あの日語った彼の知識は、どれだけ年数を重ねていたとしても、私への消えない呪いとなっている。

『あじさい』
#10

6/13/2024, 3:10:51 PM