月森

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 恋人とお別れをした日、私の心の中で強い悲しみの風が吹いた。空は厚い雲に覆われ、次いで怒りの、寂しさの、憎しみの、無力感の風も吹き始めた。それらは融合し、大きくうねる竜巻となって、私の精神の街を破壊した。私にはどうすることも出来なかった。
 その竜巻はずいぶん長くそこにあった。けれどそのうち、それは少しずつ小さくなり、つむじ風程度になった。私はその時ようやく動けるようになって、壊れた街の残骸を丁寧に見て回った。それは私が大事にしていた価値観や信じていたもの、常識で、硝子の破片のように尖った思い出は、拾い上げた私の手を傷付けた。

 瓦礫の街の真ん中でずっと蹲っていた。もうこの街は、私は、終わりなのだと思った。静かに世界の滅びを待っている気持ちだった。けれど、なかなかそれは訪れない。俯いていた顔をふとあげると、私の形をした影が、せっせと瓦礫を運んでいるのが目に入った。廃墟となった街の片隅に咲く花に感動し、どこからか現れた野良猫に癒やされながら、影はひとり黙々と作業している。私は、そんな影に言った。

「もうこの街は終わりだよ、何をしたって無駄なんだ」
 影は私に答えた。
「そうかもしれない。でも、私はこの街が好きだ。諦めたくない」
「勝手にしたらいい」
 私はそのまま蹲っていた。影はそのまま作業を続けた。その様子を見ているうち、どうしても言いたくなって私は口を開いた。
「そんな瓦礫ひとつひとつを丁寧に扱っていたら、いつまで経っても片付かないよ。もっと雑に放り投げたらいい」
「それは出来ない。これは、私の大好きだった街の欠片だ。最期まで丁重に扱うのが私の礼儀だ」
「馬鹿らしい」壊れたものに、価値などないのに。

 街は本当に少しずつだが片付いていった。開けた場所が増えて、影はそこで猫と日向ぼっこをしていた。何だか気持ちよさそうだ。その視線に影が目ざとく気付き、私に手招きした。私は首を横に振ろうとしたが、気付けば立ち上がって歩き出していた。ずいぶん足を使っていなかったから、筋肉が弱り、ふらついた。それでも何とかその開けた場所へとたどり着き、影の隣に寝そべると、穏やかな太陽と目があった。眩しくて涙が出た。

 影がもうひとりの自分なのだと自覚している。自分は諦めたくないのだと、けれどもう、私は頑張りたくもない。この苦しみをこの先何度も味わうことになるのかと思うと、不安でどうにかなりそうで。周りの人間もこんなことを考えているのか、聞くことも出来なかった。口にした途端、湧き出す不安のすべてが具現化してしまうような気がして恐ろしかった。つむじ風は、しぶとく街の片隅で今も吹いていた。

 しばらくして、私は影の瓦礫処理に加わった。影は黒くてその表情は見えないが、きっと私を見て笑っていたと思う。ふたりになっても大して作業効率は変わらなかったが、それでも少しずつ瓦礫は片付いていき、ついに建物を建てるところまできた。しかし、まともな材料はない。
 影は瓦礫の中からまだ使えそうなものを集め始めた。私は、それらで補えない穴を埋めるための素材を想像し、創造した。此処は私の精神の街。私はこの街の神のようなものであるからそれが可能だ。けれど、崩壊の大きなショックでその力が使えなくなっていたというか、その力の存在さえ忘れていたようだった。とはいえ、魔法のように街を再建するほどの力はなく、結局ふたりで地道に組み立てていくしかなかった。

 時間をかけながら、建物ができていく。街が小さく鼓動し、息吹きはじめる。それを見た時、私は影に言った。
「これは君の好きだった街ではないよ」
「そうだね、でも、私はこの街も好きになるよ、きっと」
「馬鹿らしい」
 私は笑った。新しい建物たちは私の新しい価値観。それは真新しくまだ慣れないのだけれど、何故か今の私は、それに微かな心地よさを覚えた。

7/7/2025, 7:36:27 AM