《私の当たり前》
今回の復興予算会議は難航を極めている。
あの厄災から3年程経過しているとは言え、まだまだ完全復興には程遠い。綿密な調査の上使途を決定し、各所にきめ細やかな対応が出来るように取り計らうためにも、この質疑応答は重要な場面であった。
だが、今日の質疑は旧皇帝派から、内容は政務に関係ないプライベートなもので、もはや難癖と言っても差し支えないくらいだった。
公私共に後ろ暗いところは全くないと断言できる。しかし、皆に疑念を持たれていては話が円滑に進まないかもしれない。
そう判断し真摯に解答をしていった結果ヒートアップしてしまい、大幅に予定をオーバーしてしまった。
意味のないところで神経を削られた上に予算に関しては全く触れられなかった事もあり、普段に比べて僕の神経はささくれ立っていた。
それでもむやみに怒りを撒き散らしたくはないと深呼吸をして気持ちを鎮め、彼女を迎えたその足で共に自宅へ戻る。
道中も他愛のない話をしながら歩く。
落ち着いて話せているはずだ。普段から公務で慣れ親しんでいる状況だ。感情を隠すなど容易いもの。
そうこうしているうちに玄関に着き、扉を開けて中へ入る。
すると扉を閉めたところで、彼女が少し眉根を寄せた表情で僕の顔を見ながら立ち止まっていた。
「どうしたのですか?」
いつもはスムーズに入っていくのに珍しいものだと聞いてみると、
「あ、ごめんなさい、あの…。」
と、彼女が口ごもりながら聞いてきた。
「…もしかして今日、何か嫌な事がありましたか?」
彼女の言葉は躊躇いがちにぼかしてはいるが、ほぼ確信を得ているような視線を伴っていた。
何故だ。気付かれないように、いつものように行動していた。話せていたはずなのに。
細心の注意を払っていたはずなのに。気付かれまいと。傷付けまいと。
今までの自分がぐらりと揺らぐ。こんな簡単な事も出来なくなったのかと。
「…申し訳ありません。…何か気に触る事でも言ってしまいましたか?」
不安定な足場に立っているような心持ちで確認をする。
僕は、失敗してしまっていたのだろうか。
感情の制御も出来ないなど、国に仕える者として失格ではなかろうか。
誰も、傷付けたくはなかったのに。
酷く動揺し、自分でも分かるくらいに震える声で詫びれば、これまた慌てた様子で彼女は言った。
「いえ!ごめんなさい、そうじゃないです!何も嫌な事言われたりしてませんよ!ただ…」
ただ?
「…何かいつもよりずっと空気がピンと張り詰めたような感じがしたので…何かあったのかな、と…」
少し俯き、落とした声で呟いた。
「ごめんなさい、こんな事言って…」
どんどん声はトーンダウンしていく。
違う、違うんだ。謝らせたかったんじゃない。ただ僕は。
「…驚きました。」
要は勘が働いた、そういう事。
客観的な違いはない、本当に些細な事。
それを捕らえていたのか。捕らえてくれていたのか。
「まさか見抜かれるとは思いませんでした…本当に貴女は凄いですね、当たり前に出来る事じゃないですよ…。」
僕の弱った心を見つけてくれた嬉しさと怒りを隠し通せなかった悔しさが綯い交ぜになった複雑な思いでストレートに感じた事を告げれば、
「…私は、貴方の何事にも誠心誠意を持って冷静に取り組む真摯な姿勢の方が凄いと思います…。」
俯いたまま僕に顔を見せず消え入りそうな声で、彼女は褒めてくれた。
そんな事は当然だと思っていた。
いい加減は許されない。手を抜けば、必ずどこかで過誤になる。
感情に流されれば、いずれ必ず破滅する。
何事も落ち着いて、丁寧に継続してやってこそ価値がある。
僕にとっての当たり前は、彼女からは長所に見える。
彼女にとっての出来て当然は、僕には貴重なものに見える。
昼間の怒りはどこへやら。
僕はそっとかがみ込み、俯く彼女の顔を覗き見る。
耳まで真っ赤にして驚く彼女の表情に、自然と僕の顔は綻んだ。
7/9/2024, 10:01:55 PM