sairo

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「入ってきたものが混ざり合う……来訪神と地蔵菩薩が習合したのか」
「だが完全には混ざりきらなかった。来訪神は泣く子を戒め、春を告げる存在であるのに対し、地蔵とは生者を守護し死者を救済する存在だ。性質が違う」

静かに佇む地蔵菩薩から目を離さず、冬玄《かずとら》は語る。

「この山にある碑が刻まれた地蔵を誰も知らない。無意識にこの場を畏れ、奥まで足を踏み入れることはなかったのだろうからな……作り手の祈りが満ちたここは、人間にとって重いのだろう」

何が、と敢えて言葉にせずとも、地蔵菩薩の存在がそれを示している。
死者の供養。子への想いに満ちて、燈里《あかり》は息苦しさを覚え目を伏せた。

「形を失い消えかけていた所を、山から下りる来訪神の概念を取り込むことで存在を繋ぎとめたって訳か」

息を吐く楓《かえで》の言葉に、燈里は咄嗟に首を振った。

「燈里?」

違う。何故かそう思う。
存在を繋ぎとめるよりも大切なことがあったのだと、感じる思いに燈里は自身の手を強く握り締めた。

「面は割れた。このままここに繋ぎ留めておけば、時間と共に来訪神としての概念は消えていくだろう」

冬玄の声に燈里は息を呑み、視線を向ける。地蔵菩薩に手を向け、冬玄は無感情に告げた。

「地蔵は境界に置かれることで結界の役割もある。繋いでおけば、家に戻る頃には領域も分かたれているだろう」
「待って……!」
「燈里。慈悲を向けるな。そいつを連れて帰るための必要な処置だ」

地蔵菩薩の周りの地面が、ゆっくりと氷に覆われていく。ぱきぱきと小さな音を立て、足元から凍り付いていくのを見ていられず、燈里は泣くように顔を歪めて俯いた。
止めたい、けれども止められない。相反する思いに、込みあがる痛みに、きつく閉じた瞼から一筋滴が溢れ落ちた。

「――言葉を」

不意に腕の中で眠る睦月《むつき》が声を上げた。
驚き、燈里は目を開け睦月を見るが、彼女が起きた様子はない。

「睦月ちゃん?」
「言葉を、残します。前にここを訪れた子たちのように。誰にも届かないと分かっているけれど、届いてほしいと願っているから」

目を閉じたまま、睦月は語る。静かな声に、冬玄は手を止め振り向いた。
眉を寄せ、誰もが無言で睦月の言葉を待つ。

「私の半分が死にました。双子の妹。もう一人の私……あの子がいないのに、生きていけるはずがない。何も感じない。楽しいも、悲しいも、何もかも分からない。私の半分は戻らない。削がれて消えて、残ったのは息をするだけの人形。残り滓……お父さん、お母さん、ごめんなさい。私は一人で生きていけるほど強くない」

ぱきん、と音がした。
振り返れば、下半身が凍りついた地蔵菩薩の手が、こちらに向けて差し出されていた。その手のひらの上には半分に割れた小さな石が乗せられており、ゆっくり砂になり風に飛ばされていく。
何もなくなった手を地蔵菩薩は握る。そうして再び開けば、そこには小さな丸い石が乗せられていた。

「父が、亡くなりました。僕ももう、以前のようには動けない。母さんも、姉さんたちも朝から晩まで働いている。弟妹たちの面倒を見て、僕の世話までしてくれる。それが苦しいのに、悲しいのに、どうしてか泣けない。段々何も感じなくなってくる……どうして、僕が生きているんだろう。何の役にも立たないのに、どうして息をしているんだろう……ごめん、母さん。生きててくれて嬉しいって言ってくれたけど、みんなの負担にはなりたくない。ごめん、みんな。どうか僕のことなんか忘れて、幸せに生きて」

ぱきり、と石が割れる。さらさらと砂になり、静かに消えていく。
地蔵菩薩の手に新たな石が現れる度、睦月は言葉を紡いでいく。誰かが残した言葉を語り終え、役目を終えた石が砕け消えていく。
どれもが哀しい思いだった。失い、苦しみ、信じられず、絶望する。
皆、自身が弱いのだと言った。生きていけないのだと、心で叫びを上げていた。

誰も動かず、何も言わず。
ただ睦月の言葉と、石の割れる音だけが辺りに響いていた。



ぱきん、と石が割れる。
風に乗って砂が消えても、地蔵菩薩は動かず、睦月も何も語らない。

「どうやら、今のが最後だったみたいだね」

詰めていた息を吐き出し、楓はゆるく頭を振る。

「今のは……?」
「ヒガタと共にいった人間たちが残した言葉だ」
「石の記憶のようなものだよ。言葉を刻まずとも、石は思いを記憶するからね」
「最後の、言葉……」

呟いて、燈里は地蔵菩薩に視線を向けた。まるで役目を終えたように沈黙するその姿に何かを言いかけ、口籠る。
力なく目を伏せ、腕の中で眠る睦月を見る。紡がれた言葉を思い返し、燈里は泣くのを誤魔化すように睦月の髪を撫でた。

「冬玄」
「どうした、燈里」 

手を止めぬまま、燈里は顔を上げて冬玄を呼ぶ。目を合わせ、微笑んだ。

「地蔵菩薩……ヒガタを解放してあげて」
「燈里」
「子供たちの残した言葉は、ちゃんと受け取った。だからもう、無理矢理繋がなくても大丈夫だから」

冬玄は無言で燈里の目を見た。不安も恐れもない。冬の夜を思わせる澄んだその目に冬玄は僅かに目を細め、振り返りもせず地蔵菩薩の氷を溶かしていく。

「ありがとう……楓。睦月ちゃんをお願いできる?」
「分かった……行っておいで、燈里」

楓に睦月を託し、燈里は立ち上がると地蔵菩薩の前まで歩み寄る。冬玄は思わず引き止めるように手を伸ばしかけるが、真っ直ぐな燈里の横顔に、何も言わずに手を下ろす。

「ありがとうございました」

地蔵菩薩に向けて、燈里は深く礼をする。差し出されたまま動かない手を両手で包め込み、ひとつ呼吸をする。
地蔵菩薩の伏せられた目が燈里を見つめている。その目を燈里もまた見返し、口を開いた。

「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」

紡がれたのは、地蔵菩薩の真言。
包み込む冷たい石の手に、熱を感じた。驚きに目を瞬く燈里の前で、地蔵菩薩の姿が揺らぐ。刹那、その姿は来訪神を模したものではなく。
右手に錫杖を持った、地蔵菩薩本来の姿に戻っていた。
しゃん、と錫杖が鳴る。澄んだその音に、手を離し惚ける燈里の頭を撫でて。
地蔵菩薩の姿は、空気に解けて消えていった。



「消えたのか?」
「きっと、子供たちを見に行ったんだよ。地蔵菩薩は人々を救う存在だから」

眉を顰める冬玄に、燈里は笑みを浮かべながらそっと寄り添った。

「生きているのに、生きてはいけない……よく分からない感覚だ。それを守ろうとする意味も、俺には分からない」

燈里の肩を抱き、冬玄は告げる。眉を顰め、不可解だと言わんばかりの表情をしながら、燈里の額に唇を寄せた。

「この世界は、分からないものに溢れている。だが、そうだからこそ、世界は美しく、愛おしいのだろうな」
「冬玄」

驚きに目を丸くする燈里に、冬玄は微笑みかけ。

「帰ろう。今日は一段と冷える。囲炉裏の火にでも当たって、ゆっくりと過ごそう」

労わるようにそう囁けば、燈里は頬を染めながら、ふわりと笑みを浮かべた。



20260115 『この世界は』

1/16/2026, 11:34:04 AM