七星

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『蝶よ花よ』

予め敷かれたレールの上を進むのが、私の義務だと思っていた。そうしなければ、私をこんなにも愛してくれている両親に対して申し訳ない。だから軋み始めていた心に蓋をして、気づかないふりをしていた。でも、この世界に飛び込んでみてわかった。私の考えは間違っていたのだと。

名門と言われる女子大に入学してからというもの、私は周りとのギャップを自覚させられる日々にうんざりしていた。ぬるま湯に浸かって生きてきたような、まるで苦労を知らない同期生たち。女性らしさばかりを強制し、講義の内容にはろくに力を入れてくれない先生方。そんな中で、私が生まれつき持ち合わせていた奔放な精神は、あまりの息苦しさに窒息しかけていた。

大学の最初の一年は、ただ耐えるだけで終わっていった。来年の前期からはもう少し視野を広げる必要があると、私は一種の賭けに出てみた。単位が取りにくいという理由で学生たちから敬遠されていた、舞台芸術論の授業を履修することにしたのだ。

授業初日、覚悟を決めて講義室に入った私の前に現れた教授は意外にも、笑顔で優しい話し方をする老紳士だった。

「皆さんは今まで周囲から、蝶よ花よと大切にされ、大概のことは許されて育ってきたのかもしれません。ですが、ここではそういった考えは通用しないと思って下さい。私は冷酷な人間です。本気が見られない受講生は容赦なく切り捨てていきますので、覚悟の上での受講をお願いします」

優しげな口調で、ユーモアを滲ませつつ恐ろしいことを言う。しかし、私はそこにこの教授の本気を読み取っていた。

こうして始まった授業だったが、その内容は面白かった。中でも特に私の関心を引いたのは、国内の小劇団に関する話だった。前衛的な演出をする、ある小劇団の映像を見て、この中に交じることができたなら何もかもが解決するような気持ちになった。

以来、私は小劇団に関する文献や情報を収集するようになった。授業のレポートも、実地で観た芝居の感想を交えて展開させた。単位は無事に取れ、後期の授業が始まる数週間前、私は計画を実行に移した。何度か公演を観に行っていた小劇団の入団オーディションを受けたのだ。

演技経験のない私のような人間が合格するだろうか、という不安はあった。しかし、審査に出てきた劇団代表、栗原さんの姿が視界に入った時、私の中で何かが弾けた。

私はここにいたかったのだ。名門女子大を出て就職し、金銭的に恵まれた家の男性と結婚するよりも、私はこの場所にいたいと強く願っていたのだ。蝶よ花よと甘やかされる生活から離れることになったとしても、私はここにいたい。

思いの強さが届いたのか、それとも単に人員が足りなかったのか、その場で私は合格を勝ち取ることができた。

「藤崎亜実さん。合格です。あなたの演技はまだ素人の域を出ていないかもしれない。でも、あなたは誰にも負けない熱意を持っている。経験を積めば、きっと活躍できるはずです」

栗原さんは、そう言いながら右手を差し出してきた。私たちは力強く握手をした。

それから二年半の月日が流れた。大学と芝居との両立は厳しかった。しかし、入団オーディションの時に栗原さんがくれた言葉が力になり、舞台芸術論の担当だった教授の助けも借りて、どうにか私は大学の卒業証書を手にすることができた。

次の公演を控えた今、私の前には珍妙な男が座っている。近隣で活動する小劇団の団員で、劇作家志望だと話している。イケメン俳優並みの綺麗な顔をして、スタイルもモデルのようなのだが、いかんせん服装の趣味が悪い。鎖柄の派手な黒いシャツを着て、若草色のズボンを穿いている。

男の名前は、片岡隆太。私より四つ年上らしい。この人が書いた脚本で、私はダブルヒロインの片方を演じることになっている。

この世界に飛び込んでみてよかった。蝶よ花よと大切にされているよりも、多分今の私は輝いているはずだから。

8/8/2024, 1:04:43 PM