結城斗永

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 公民館の団欒室。殺風景な壁にA4の色画用紙4枚を使って貼られた『川柳教室』の文字は、昨晩、慣れないパソコンを使って、夫に教えてもらいながら私が作ったものだ。
 入口に貼られた『町民ふれあい教室~川柳で自分を表現してみよう~』のポスターに『講師:志田聡美(しだ さとみ)』という私の名前。今日は全十二回ある講義の記念すべき第一回目。
 結婚して二十年、専業主婦の片手間で始めた俳句歴まだ三年目の私が、まさか『先生』なんて呼ばれる日が来るなんて、人生は本当にわからない。

 部屋の真ん中で、円形に並んだパイプ椅子に、カラフルな短冊と百円ショップで買った筆ペンのセットを順番に置いていく。
 この部屋に入った時に、パイプ椅子はすべて直線的に並んでいたけれど、どうせならみんなが向かい合っていた方がいいんじゃないかと思って配置替えをした。
「うんうん。なんか、様になってる気がする」
 
 このふれあい教室の立案者で、俳句仲間でもある町内会長から『九月に一枠空きがあるの』と話をもらったのが今年の六月。
 気が付けば、あっという間の三か月だった。
 初めこそ、こんな私に講師なんて務まるのかしらとも思ったが、『聡美さん、お話もとてもお上手だから』と押し切られた形でこうして今日を迎える。

 いざ準備に取り掛かってみると、案外楽しいものだった。
 まず、毎週欠かさず見ていた公共放送『俳句講座』の見方が大きく変わった。
 いつもは投稿された句やテクニックに感心していた私が、『あら、上手な褒め方』『今の言い回し、とてもステキ』と、いつしか解説の先生の話し方に関心が移っていた。『教える』というより『寄り添う』という雰囲気に近い彼女の姿勢が気に入った。
 心に残った言い回しはメモ帳にしたためておいて、掃除や洗濯、料理をしながら鼻歌の代わりに口ずさむ。
 導入の挨拶は、あの先生の口調を少し真似してみようかしら。結構有名な方だし、俳句好きにはつかみとしてばっちりだと思うの。
 あと言葉尻に小さく頷く癖も取り入れて――。
 円形に椅子を並べるアイデアも、カラフルな短冊も、番組の中で、高校生たちがテーマに沿って歌を詠む回でそうしていたから。
 そう。私にはこの『俳句講座』がすべてのお手本だった。

 私は準備に漏れがないか、団欒室をひと通り見渡したあと、腕時計に視線を落とす。
 講義開始まであと十五分。もうそろそろ生徒さんもやってくる頃だ。
 果たしてどんな人が生徒としてやってくるのかしら。もしも私より上手な人ばかりだったらどうしよう。
 不安がないかと言えばウソになるけど、期待の方が大きかった。
 そこは先生の褒め方を参考に、持ち前のやってみよう精神で何とか乗り切れるはず。

 私は誰もいない教室の真ん中で、気合を入れるように胸の前で拳を握り、大きく声を張り上げた。
「志田聡美、四十八歳、頑張るぞ!」
 私の声とほぼ同時に、ガラガラと扉を開けて年配の女性が入ってくる。
 女性は一瞬びくりと驚いたような表情を見せたが、「まぁ、元気な川柳ですこと」と微笑んだ。
 窓から漏れ入る初秋の麗らかな日差しが、空気の中に漂う照れ臭さを包み込みながら、殺風景な団欒室が徐々に温かさを増していくような気がした。

#誰もいない教室

9/6/2025, 1:31:35 PM