15歳の誕生日を迎える年は、
嫌で嫌で仕方がなかった
誕生日の夜は、ベランダでこっそり泣いた
もう子供ではない
私の子供時代は、終わってしまったから
どうして15歳? と驚かれるのだけれど
倍にしたら、30歳
当時の私が考える30歳は
もう、いい大人
おじさん、おばさん
……と感じる年齢だった
大人になんか、なりたくなかった
当時住んでいた街は、
都心に直行する電車の開通工事真っ最中の
ニュータウン
『24時間戦えますか』のCMを
まさに地でいっているような大人が
わんさかといた
ビシッとしててもみんな疲れ果てていたし、
軋轢でどこか歪んでいる人も、多かった
訳のわからない、何の意味もない
マウントの取り合いも
そこかしこで見受けられた
自分も、ああなるのだと
取り立てて才覚もない自分は
母がいう通りに生き、
あのようになるしかないのだろう……
そう、否応なく思い知らされる日々だった
進路を決める時期だったけれど
夢も希望も、あったものではなかった
灰色の、アスファルトの一本道
自分の将来は、ただ道があるだけの
無為で、つまらないものに違いない
では、なぜ生きているのか
なぜ生きていかなくてはならないのかと
何もかもが
嫌で嫌で、仕方がなかった
——それなのに
生きて、もうじき半世紀になる
母が歩ませようとしたレールは
確かにあったけれど
私はそこから脱してしまったから
その道が
どこまでも先が続いていたのかどうかは、
知らない
これしかない、と思い込んでいた道は
外れてしまえば
実は無数にあって
むしろ選ぶことすら、困難だったり
舗装されていると思って進んでいたのに
気付けば、道なんてどこにもなく
自分や、周りの人に手伝ってもらって
切り開く以外、なかったこともあった
生きている意味は、未だにわからないけれど
意味がないことの方が多いのではと、思う
無為といえば、無為なのだろう
今は、猫ちゃんがいるし
たとえいなくても
終わらせる勇気もないし
多分、命ある限り
これまで通り、生きるのだろう
でもそれが別段、苦痛ではない
……嫌なときは、たまにあるけれどね
色んなことが、あったよ
これからも、それなりにあるだろう
『何にもない、苦痛なだけ』
——ではないよ
あの頃の、私……
5/25/2024, 3:50:16 AM