ヒロ

Open App

良かった。これで漸く今日で仕事が納まった。
難航する調査に、一時はどうなることかと危ぶまれたが、何とかこうして解決して、無事に報酬も受け取れた。
当初の調査期間をオーバーしたにも関わらず、報告した内容に依頼主は上機嫌で。報酬に上乗せの上、景気良くワインまでもらってしまった。
良いお年を、と。年の瀬お決まりの文句を言って、颯爽と彼女は去って行ったけれど。
不遇だった彼女こそ、その調査結果を武器に、良い年を迎えられますように。
そう願って、待ち合わせた喫茶店を後にした。
今年も残すところあと数時間。今日は一年で最後の日、大晦日だ。

すぐさま帰りたかった気持ちと裏腹に。帰り道、予想外の渋滞に巻き込まれた。
あとは帰るだけなのに、今年の年末はことごとく思い通りに進まない。ついていないな。
そうこうして、やっとのことで自宅も兼ねた事務所に辿り着いたときには、もうへとへとで。
「ただいま」
と、無意識に。
事務所の扉を開けるとともに自然と口について出たその言葉に、自分でもちょっと驚いてしまった。

独りで暮らし、独りで仕事もしていた頃は、日常の挨拶なんて全く習慣になかったのに。
ただいまに、お帰りだなんて。
久しく遠退いていたそんなやり取りも、相棒をもって一年も経つ内に、意識せずとも当たり前のように出てくるようになってしまった。
改まって気付いてしまうと、何だか妙に小恥ずかしい。
釣られて勝手に赤くなる頬に思わず焦る。
やばい、からかわれる――と思い巡らせたところで、そういえば奥から返事がなかったことにふと気が付いた。

てっきり中で待っているかと思ったのに、相棒のあいつは出掛けでもしたのだろうか。
朝に予定を確認したときはそんなことは一言も言っていなかったはず。となれば、これは奴お得意の思い付きか。
何となく、普段来客用に置いている呼び鈴を悪戯に鳴らしてみるも、やはり相棒は出て来ない。
とりあえず、馬鹿みたいに独り照れていた様子を見られずに済んだことに安堵しつつ。
日も暮れて暗い中、壁伝いにスイッチを探り、消えていた照明をぱちりと点けた。
そうして明るくなった事務所を奥に進めば、テーブルにひとつ残された書き置きが目に留まる。

『甘いもの買いに行って来るから、 楽しみに待っててね~!』
何とも気の抜けるメッセージと共に、これは自画像のつもりなのだろうか。
まるでどこかの怪盗の予告状のように、にやりと笑う、丸い似顔絵も書き添えられていた。
その絶妙に似ていないデフォルメにくすりと笑いが漏れる。
「こんな伝言、スマホにメッセージくれれば済むのにな」
ネット関連からの調べものを任せたら俺より凄腕の癖に、プライベートな面では変にアナログなところがある。
やっぱり外見は年若くとも、永い時を生きてきた吸血鬼。実年齢が俺より年寄り故のジェネレーションギャップと云ったところか。

可笑しくて笑い続けていると、見計らったかのようにして、今度はスマホの着信音が鳴り響いた。
画面を見れば、件のあいつからの連絡だ。
咳払いを一つして、笑いを止める。
それから画面をスライドし、平静を装って応答すれば、俺が喋り出すより早く、相棒の元気な声が俺の耳を貫いた。
「あ、良かった出てくれて~。ねえ、そっちの仕事は終わった? あのね、年越し用のオードブルが値下げ始まってるんだよ! 夕飯の用意がまだなら、買って帰っても良いかな?」
「――甘いもの、買いに出たんじゃなかったのか」
矢継ぎ早にぽんぽんと飛び出す問いかけに気圧される。
それでも何とか手元にある書き置きの存在を思い出し、割り込むようにして突っ込めば、「ケーキならちゃんと買ったよ~」と不服そうな声が返ってきた。
「でもデザート食べるなら、やっぱりメインのご馳走も欲しくなっちゃってさ~。ただ、先に君も用意してたら被っちゃうし、一応のお伺い。ねえ、どう?」
「一応って何だよ。ノーって言ったらごねるんだろう? もう気になるなら買って来いよ。こっちも疲れて飯作る気力もねえしさ」
呆れてため息を吐いて、目線が下がる。そうして視界に、小脇に抱えたままだったボトルが映り込んだ。おう、そういえばこれもあったか。
じゃあな、と言って切りかけた通話に慌てて付け加える。
「待て。酒は買って来なくて良いからな。依頼人から良いワイン貰えてさ。今日はそれがあ」
「ええー! 本当に!」
俺の言葉を皆まで言わせず遮って、やったあ! と騒ぐ声が再度俺の耳を貫いた。
うおっと、油断した。
こいつとの付き合いにも慣れてきたと思ってたけど、このテンションの上がり方は未だ予測しきれない。
耳を押さえる俺を知ってか知らずか。ご機嫌な相棒は嬉しそうに話し続けた。
「うふふ~。じゃあ今日は年越しのニューイヤーパーティーだね! ご馳走買って帰るから楽しみにしてて!」
「分かった分かった。もう、早く帰って来いよ。こっちは腹ぺこだ」
「オッケー!」
言いたいだけ言って満足したのだろう。今度こそ通話はぷつりと断ち切られて、喧しい賑わしさも消えてなくなった。
事務所には、俺独りだけ。そのしんとした静けさが、何だか妙に寂しい。
――寂しい? 俺が?
たった一年、されど一年。あいつがやって来る前までは、一匹狼を気取るような気概まであったのに。魔物相手に、随分と絆されたものだ。
本当、あいつが居なくて良かった。
察しの良い相棒のことだ。俺の様子に感付いて、鬱陶しく絡んでくるに決まってる。そういう奴だ。
「ニューイヤーパーティーって。大袈裟な奴だよな」
他に誰も居ないのに、誤魔化すように悪態をついて。
エアコンの電源も入れて、冷えきった部屋を暖める。
それでも、そわそわとした気持ちは収まらない。

――ああ、何だよまったく! もう、早く帰って来い!
こんな感傷的になるなんて。今日の俺は何だかおかしい。
もう今日は料理なんてしないつもりだったけれど、気が変わった。
何を買って来るかは知らないが、あるもので簡単にスープくらいは作ってやろう。
まだ帰らないようなら、もう一品。
あいつが云う、ニューイヤーパーティーとやらに乗っかってやる。
さあ。早く帰って来ないと、どんどん増えるぞ。
食べきれなくたって問題ない。日持ちのするものにすれば、新年明けてからのストックになるからな。俺の鬱憤も晴れて、一石二鳥という奴さ。
テーブルに並べられた料理に驚く相棒の姿が目に浮かぶ。

この事務所に、こんな賑やかな年末がやって来るとは夢にも思わなかった。
新しい年まで、あと少し。
来年はどんな年になるのだろう。
陽気な相棒と、また一年。続くのなら、もっと永く。
また一年、を繰り返していけたら、と。
あいつの帰りを待ちながら、そう願った。


(2025/01/01 title:067 新年)

1/1/2025, 10:05:43 PM