すゞめ

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『風に乗って』

「うああああああああああっ!!」
「おひょーーーーーーーーっ!?」

 俺とは異なり、隣で絶叫をあげる彼女はひどく楽しそうだ。
 彼女いわく、ジェットコースターには初めて乗るらしいのだが、わざわざ1番前の席に駆け寄る行為は初心者の所業とは思えない。

 眼鏡を外して弱くなった視力では、彼女にピントをうまく合わせられなかった。
 裸眼でもわかるほどの開けた景色と、高所からの地平線に身震いしかできない。
 重力によって急降下するジェットコースターの轟音、防御力の心許ない安全バーで視覚以外からも恐怖は存分に刺激された。
 そんな状況のなか、生身に突き刺さる爆風を浴びている俺に、隣に座る彼女を伺う余力なんてあるはずがない。

 本当にこれ、子ども向けかよっ!?

 対象年齢5歳以上とは思えないほど、本格的なスピードと高低差に気絶しそうである。
 風に乗って、なんてどこかの詩人がうたいそうな美しいシチュエーションを期待した俺が浅はかだった。
 体の内側から風に掻っ攫われる浮遊感は恐怖以外のなにものでもない。

 長い長いジェットコースターのレールを1周し終えたあとは、膝が震えて、彼女の手を借りないと立ち上がることもままならないという醜態を晒してしまった。
 俺とは対照的に、彼女は軽やかな足取りでジェットコースター前に置かれている、スタンプラリーの設置台の前に立つ。

 彼女は入念にスタンプラリーの台紙とスタンプの向きを確認して、慎重にスタンプを台紙に押しつけた。

「できたっ」

 ひょこひょこと上機嫌に揺れる小さなポニーテールと、弾けた声音から、ようやく満足にスタンプを押せたのだろう。

「見て見てっ」

 用紙を広げてきれいに押されたスタンプを、アピールする彼女がかわいい。
 ぐちゃぐちゃになった三半規管が癒やされていった。

「おお。今回はうまくいきましたね」
「んっ」

 最初のひとつ目は、インクが掠れてしまってしょげていた。
 ふたつ目は力を入れすぎて滲んでしまい、3つ目は力を抜きすぎてキャラクターの頭部が押印されていない。
 満を持して4度目でようやくきれいに押すことができたようだ。

 意外と不器用な一面が本当に愛おしくてたまらない。

 ちなみに、スタンプラリーガチ勢である俺の出来栄えは、今のところ完ぺきだ。
 スタンプは赤、黒、青、緑の基本の4色は、あらかじめ持参してインクの掠れ対策をする。
 インクを乗せる前に印面の埃やゴミがついていないか確認して、枠内のバランスを入念に調整した。
 ジェットコースターのせいで手元がわずかに震えたが、誤差にもならずきれいに仕上がり、自画自賛する。

 今回のコラボには正直、微塵も興味はないが、彼女のハマっている女児向けアニメのコラボだ。
 できれば彼女の指紋でペタペタになった不器用な台紙と、俺の台紙を交換してもらえないか交渉するため、丁寧に仕上げているところだ。

 ラリー完走で得られるブラインドの巨大缶バッジで彼女の推しが出たらワンチャン、交渉の余地があるかもしれない。

「……」
「なんですか?」

 彼女にしては珍しい粘着質な視線に、思わず目を向けた。

「なんでそんなにスタンプ、押し慣れてんのかなって」

 なんだ、そんなことか。

 不服そうに俺との出来栄えを比べる彼女に、俺は口元を緩める。

「去年はあなたに代わって鉄道イベントのスタンプラリーをしたじゃないですか」
「確かに……」

 今日訪れている遊園地の女児向けアニメのスタンプラリーと同じく、去年は鉄道イベントのスタンプラリーが行われていた。
 寂しさを紛らわすため、彼女が不在の合間を縫って全国津々浦々、飛び回ったのは記憶にまだ新しい。
 どさくさで観光名所にも立ち寄りながら、計35ヶ所のスタンプをコンプリートしてやったのだ。

「ほかの鉄道イベントよりも若干数が多いせいか、スタンプ台紙も豪華でしたし、イベントそのものにも力が入っていて楽しかったです」
「ぐぅ」

 俺の言葉に、彼女はガックリと項垂れている。
 彼女は彼女で、鉄道イベントのときは景品交換ができる個数は近場ですませていた。
 それでも、コンプリートされた俺のスタンプ用紙を見ると、いまだに悔しがっている。

「お願いしたのは私だけど、……悔しい……」

 競っているつもりは微塵もないが、彼女の負けず嫌いが発揮されてしまった。

 俺としては、ひとりきりで日帰り観光するなら、ぜひあなたも持っていきたかったですけどね。

「ハハハッ」

 しばらくぐちゃぐちゃに歪んだ彼女の表情でしか得られない栄養素を取り込むことにした俺は、笑ってごまかすことにした。

「次はコーヒーカップの近くでしたっけ? ついでに乗ります?」
「スタンプだけでいーや。そろそろれーじくんの三半規管やばそうだし」
「えっ。優しい」

 トゥンク♡
 キュンとかわいい音を立てるが、容赦なく締めつけられる心臓を押さえた。

「いや、ふざけてなくてガチでさ。顔がゆるゆるゾンビになってる」
「どんな顔っすか、それ」
「いいから。コーヒーカップの近くに休めそな場所あるから、行こ」

 有無を言わさずぐいぐいと俺の手を引く彼女に、俺はおとなしく従った。

4/30/2026, 7:09:08 AM