入野 燕

Open App

月に願いを

「何を祈っているんだい? そんなに必死に」
「何を、祈っていると思う?」
一人の女性がこの荒廃とした世界の上でなにかに祈っている。
その横には一人の男性。
「それは…いささか無意味な問題ではないか? …まあ、僕の君の問いに対して考えを巡らす実に滑稽でゆにぃくな姿を見たいのならば話は別だがな」
男はふんぞり返ったように鼻で笑いながら女にそういった。
「そう卑屈になるな。……まあ、そんなお前のままなら、私のこの行動の意味は一生わかるまいな」
と、女は男を見上げてそういった。
「私は世界を救うぞ。皆のために」
男をみる女の目は、実に勇ましく、猛々しいまるで英雄の光り輝くあの希望に満ち満ちた強い瞳だった。
なにかに祈る必要なんてないような人間のように見えた。
「ふん、そんなバカみたいなことを言うようなやつがなにかに祈っていてどうする。……祈ることは弱者にのみ許された行為だ。今のお前がするべきことではない」
「私は祈っていたのではないよ。……これ以上話してもしかたがあるまい。そろそろ行くとするよ」
女は男に背を向けて歩き出した。
男も女も、もう二度と見ることはなかった。

「月に願いを込めていたって何にもならないだろう。どうしてそこまでしてただの物体に対して願いを込めるというのだ」
男の独り言は月明かりの照らす静寂に、木霊すること無く消えていった。

「そんなものに願うのなら……」
そんな男の願いもまた、その空気に木霊することはなく、或るかもわからないものには届かない。

5/27/2023, 2:26:08 PM