くまる

Open App

ある朝、ファキュラは起きると泣いていた。原因は分かっている。今見ていた夢のせいだ。

「……ごしゅじんさま。」

ファキュラは、猫のような手で顔を覆う。自分の肉球が冷たくて、泣いて熱い目を、まぶたの上から冷やしてくれる。

◇◆◇

ファキュラのご主人様。ファキュラをこの世界に呼び出したのは、一人の小さな女の子だった。

「あなたの名前はファキュラよ。」
「ふぁきゅら?」
「そう。可愛いでしょ?」

ファキュラは、その頃、「かわいい」の意味も分かっていなかったが、女の子は、そんなファキュラを、とても可愛がった。
幾日も、一緒に森の中で過ごした二人。ある日は、花かんむりを作ってもらい、ある日は、二人で果物を食べた。

「みんなには内緒よ?」
「ないしょ?」
「そう。あなたは私だけのファキュラ。」

そう。ファキュラは一人、森に住んでいた。女の子は、家族に内緒で、森に通っては、ファキュラと遊んでいた。女の子は、川で汲んだ水を魔法で沸かして、ファキュラの体を洗ってくれた。

「白くて、ふわふわの可愛いファキュラ。」
「ふふふ。ありがとうございます!」

それから、もう小さくなった自分のお下がりをファキュラに着せてくれた。

「あったかい?」
「はい!あったかいです。」

そうして数年が経ったある年。その年は、いつもより寒い日が続いて。焚き火をしながら、女の子はファキュラにくっついて座っていた。二人でくっつくと温かい事を、ファキュラは、もう知っていた。

「ねぇ、ファキュラ。」
「なんですか、ごしゅじんさま?」
「ファキュラは、ずっと元気で居てね。」
「ずっと?」
「そう、ずっと。もし私が死んでしまっても、ファキュラは、私より、ずっとずっと長生きしてね。」
「はい。ファキュラはずっとずっと長生きします!」
「ふふ。ありがとう。」

その次の月。女の子は、森に現れなくなった。寒い寒い冬だった。女の子が心配になったファキュラは意を決して、森を出た。ある日、女の子は言っていた。

「この森を出て、ずっと歩いた所に、私の家があるの。」

ファキュラが森を出ると、すぐそこに家があった。いつか、女の子が見せてくれた、絵本の家と同じ形をしていた。その家から人が出てくる。

「カノリさん?」
「え?」
「カノリさんですか?こんにちは。ファキュラです!」
「ファキュラ?」

「カノリさん」は、絵本の中で、その家に住んでいた女の人だ。ファキュラは、来なくなってしまった女の子のことを話す。

「えっと。ごしゅじんさまが、どこへ行ったか知りませんか?」
「ご主人様?……ああ、森に来てた魔女の女の子かしら。」
「はい!」
「彼女なら、病気で亡くなったわ。酷い風邪を引いたんだって。」
「なくなった?」
「そう。死んじゃったってこと。」
「死んじゃったんですか?」
「そう。あなたは、あの子の使い魔なのかしら。もうご主人様は居ないんだから、元の場所に帰りなさいね。」
「もとの場所?」
「そうよ。時間が経てば、自然と戻れるわ。」
「……はい。」
「じゃあね。」

そう言うと、カノリさんは、家に鍵をかけて街に行ってしまった。

「死んじゃうと、会えなくなっちゃうのよ。」

そう、女の子に、教えてもらったことがある。

「もう会えないの?」

ファキュラが、ぽつりと呟いた声は、白い湯気になって空に消えた。


その日から、ファキュラは森の中で、その時を待っていた。「時間が経てば、自然と戻れる」そうカノリさんは言ったけど、待てども待てども、その時は来なかった。そのうち、お腹の空いたファキュラは、またフラフラと森を出た。カノリさんの家の前を過ぎて、大きな街に出る。

「うわ、汚ねぇ。」
「こっち来んな!魔物が!」
「止めとけよ。呪われんぞ。」

道行く人が、ファキュラの事を見て、そんな事を言う。女の子が居なくなって、身体を洗わなくなったファキュラの白い毛は、埃で灰色にくすんでしまっていた。

「ファキュラは可愛くないです。」

ショーウィンドウに写った自分を見て、ファキュラは思う。初めて見た自分の姿は、ペタリとした毛、空腹で細くなってしまった身体。女の子が褒めてくれたフサフサの毛も、抱き締めてくれたフワフワの身体も無くなってしまった。

「ありがとうございました!」

その時だった。店から誰かが出てきて、ファキュラは、その人の足に躓いてしまった。フワっと身体が浮いて、その勢いのまま、ごろっと転がる。

「「!」」

ファキュラが顔を上げると、一人の見知らぬ男の人が、ファキュラを見下ろしていた。そして、そこは、街の中では無くなっていた。

「なっ?え?うわっ!汚れる!」

そう言うと、男の人はファキュラを持ち上げて、別の場所へと運ぶ。

「え?君、だれ?あ!違う!ここで待ってて!時間が!」

バタバタと男の人が走っていって、辺りがシーンと静まり返る。どこからか、カチッカチッと何かがリズムを刻む音だけが聞こえる。

「ここで待ってる。」

ファキュラは、男の人を待つことにした。どちらにしても、ここが、どこだか分からない。ファキュラは、そこが風呂場だということを知らなかった。冷たいタイルの上で、ただただ男の人を待つ。座ってもいいのかすら、分からなかった。

「ただいまぁ。」
「……おかえりなさい?」

数時間後、遠くで男の人の声がした。ファキュラはいつか女の子に教えてもらったように、「ただいま」に「おかえりなさい」を返す。バタバタと音がして、男の人が駆けてきた。

「え?ずっとそこに立ってたのか?」
「?」
「困ったな、君、名前は?」
「ファキュラです。」
「君は誰かの使い魔なのか?」
「えっと、ごしゅじんさまのつかいま?です。」
「……ふぅ。」

男の人は、大きく息を吐くと、シャワーの蛇口を捻る。

「とりあえず、洗おう。お湯は?使った事ある?」
「おゆ!あったかいお水です!」
「そう。身体洗える?」
「はい!」

ファキュラは、バンザイをした。身体を洗う時は、こうするのだ。そうしたら、ごしゅじんさまが、服を脱がしてくれて、身体を洗ってくれる。

「あー、うん。とりあえず、脱ごうか。」

ファキュラがバンザイをしたままで居ると、男の人が服を脱がしてくれる。

「こんな薄着で寒くなかったの?」
「寒い?」
「あー、毛皮だから、寒くはないのか。身体は、冷えてない?」
「うんと、ちょっと、つめたかったです。」
「あー、うん。身体が冷たくなる時は寒い時なんだよ。」
「そうなんですね!」

この男の人は、「ものしり」だ。まるで、ごしゅじんさまみたい。男の人はファキュラにお湯をかけてくれる。いつの間にか毛に付いていたタネを、ひとつづつ取ってくれている。

「困ったな。君のご主人様は?どこに居るの?」
「ごしゅじんさまは、死んじゃいました。」
「死んだ?じゃあ、そのうち戻るか。」
「ファキュラは戻れませんでした。」
「え?」
「ずっとずっと長生きするから?」
「長生き?」
「そう、やくそくしました。」
「約束?」
「うん。やくそく。やぶったらダメです。」

「もし私が死んでしまっても、ファキュラは、私より、ずっとずっと長生きしてね。」そう言って居なくなってしまった、ごしゅじんさま。

「長生きって、じゃあ、新しい主人は……?」

その時だった。ファキュラは女の子の言葉を思い出す。

「私はファキュラの主人だから、ファキュラの身体を洗うのよ。」

ファキュラは難しい顔をしている男の人に話かける。

「あなたが、「ごしゅじんさま」?」
「え?」
「ファキュラの「ごしゅじんさま」ですか?」
「違うよ。俺はニシ。君の主人じゃ無い。」
「……そうなんですか。」

そう言われれば、「ごしゅじんさま」は女の子1人のような気もするし、でも、身体を洗ってくれる人は「ごしゅじんさま」じゃないのかな?

「あー、とりあえず、身体を洗って、ご飯を食べて、今日は俺の家に泊まるか?」
「!」

やっぱり、「ごしゅじんさま」だ!身体を洗ってくれて、食べ物をくれて、一緒に寝てくれるんだもん!

「ごしゅじんさま!」
「えっ?違うって、俺は君の主人じゃない。」
「でも、ごしゅじんさまです!」
「えええっ?」

それが、ファキュラとニシとの出会いだった。

◇◆◇

「ファキュラ?もう起きたのかい?」
「ニシさん。」
「どうした。泣いてるのか?」
「『ごしゅじんさま』が居なくなっちゃいました。」

ファキュラは、隣で寝ていたニシの胸に飛び込む。ぎゅっと寝巻きを掴んで、顔を埋めた。そんなファキュラの頭を、ニシは優しく撫でる。

「そうだね。」
「でも、ファキュラは、ずっとずっと長生きします。」
「約束だもんな。」
「はい。……ニシさんは、ずっと一緒ですか?」
「……ファキュラがお終いだと思うまでは、一緒に居るよ。」
「約束?」
「うん。約束。」

ニシは分かっていた。この言葉は「呪い」だと。ファキュラを呼び出した前の主人は、ファキュラに呪いをかけたのだ。「ずっとずっと長生きしろ」、と。だから、自身も呪いをかける。ファキュラが満足して元の場所に戻るまで、死んではならないと、ニシは己に呪いをかけて、ファキュラと共に生きていく。

3/4/2025, 1:33:53 PM